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カテゴリ:ひとりごと
田中直紀氏に関する前回の日記を書いていて、またまた古いことを思い出した。
15年前位に、内職で、某「〇会」通信添削の「大学入試 小論文」の添削員をやっていた時の話。 その時の問題(社会科学系)は、日本の政治に関する課題文を読んで、「日本の政治システムの問題点と改善策」を書け、というようなものだった。 その中の答案の一つで、いまだに忘れられないものがある。 それは、そもそも、論旨が一貫せず、小論文として、体を為していない答案ではあったのだが…。 まず、「金持ちでないと政治家になれない現在の政界はおかしい」と述べた上で、「日本の政治にはカリスマ的な人物が必要。田中角栄やイチローのような…」という論展開だった。 (他にも色々、いらんことを書いていたが省略する) これを書いた学生の住所地は、案の定というか、新潟県。 田中角栄が死没して(1993年)から、既に5年位経過していた頃だ。 田原総一郎のように、今になって、田中角栄を再評価したり、ロッキード事件冤罪説を説いたりする人も出ているが、今更、死んだ人間の評価なんか、私的にはどうでもいい。 新潟の方が全員、角栄信奉者では無いということは重々承知しているが、「偉人伝説」が若者に与える影響力の強さをマザマザと感じる経験だった。 受験の小論文の勉強をしたことのある人であれば一目瞭然だとは思うが、一応、この学生の答案の、上記の論の「減点理由 (ツッコミどころ)」を挙げておく。 1)「政治システム」の改善策の提言になっていない 〇 いつ現れるか分からないカリスマの登場を待つのは非現実的 〇 「金持ちしか政治家になれない」という問題提起は、一概に悪いとは言えないが、具体的な解決策が論じられない上、「誰でも政治家になれる世なら、カリスマが生まれやすい」という論拠も示されていない。 2)不適切な例示 〇 田中角栄は上訴中に死亡したとは言え、汚職事件で有罪になっていること 〇 「金が無いと政治家になれないのが問題」と言いながら、金権政治の象徴のように言われている角栄をカリスマ的政治家の好例としている。 〇 人間性より野球の実力でのし上がったイチローが、例として不適切なのは、言わずもがな。 多分、この学生は「苦学生で高等小学校しか出ていない」という、角栄の生い立ち美談や、角栄本人に人望があった(特に地元で)部分のみを聞いて妄信していたのだろうが、角栄が政界に入ったのは、土建業で財を成した後であって、出馬当初から相当お金を使っていたであろうことは想像に難くない。 土建業の関係者が地元への公共事業誘致の為に政治家を志すのは、よくあることだ。 勿論、私自身の「田中角栄 評」も、かなり偏見に基づいていることは認める。 どんなに魅力的で決断力のある人物であろうが、国会議員が地元への利益還元を優先し、金のバラまきで人望を得るやり方は好かないので、どうしても見方が厳しくなってしまうのだ。 要するに、何が言いたいかと言うと、人物への評価というものは、見る人の偏見でいくらでも変化しうるので、「客観性」や「公平性」を求められる受験の小論文で、歴史上の人物や実在の有名人を例に挙げたり、礼賛するのは、原則、控えた方が良いってことだ。(問題文で、それを求められているのでない限り) 例えば、自分や身内が受けた手術が「成功した人」と「失敗した人」とでは、担当医への評価が180度変わるのと同じように、その人の立場によって、また、時代や地域によっても人物評は乱高下するものだってことを理解すべきだ。 <関連日記> 2012.2.7. お馬鹿か、自己犠牲か?・・・ 屋山太郎 名言録
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最終更新日
2016年02月16日 22時22分53秒
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