カテゴリ:チェンマイの日常
義父(ヨメっこの父)の8日間にわたる葬儀ドキュメントもいよいよ最終日。
棺をお寺から火葬場にお連れする前に読経が行われますが、義父のお兄様をはじめウチのヨメっこも大泣き。本ブログで過去に何回か親戚の葬儀のようすを紹介しましたが、タイの葬式では誰も泣かないのはなぜ?タイ人の死生観は日本人と根本的に違うの?と思っておりましたが、今回葬式でタイ人が泣くのを「初めて」見ました。きっと今まで参列してきた葬式でも、どこかのタイミングで家族や親族は「当たり前に」泣いていたのでしょう。 ![]() このとき前日までお堂の外で一般弔問客とともにお経を聞いていた義母がはじめてお堂の中で参席しました。あれっ?と思いましたが、棺は外に運び出したあとなので、この方が適切なのですね。 そういう場にも前夜の「田舎楽隊」が再び登場。例のブサイクな女装にーちゃんは、さすがに日中に見るのは厳しいモンがあります。 それにしても凄い数の参列者。数えてませんが400人ぐらいは来てそうです。よくこの田舎寺にこんだけの数の椅子があったもんだ。 ![]() あと違和感を覚えたのが、「宝くじ」商のオッサンが葬儀会場内で商売を始めたこと。実はその数日前に家族・親族や関係者の間で、故人の「享年」にちなんだ番号の宝くじを買おうと盛り上がり、見事に末等は当たりで、最高「10,000バーツ」をゲットしたひとまで出ました。当たったひとがお坊さんってのが笑えますが、戒律的にそれっていいのか? まあ働き者だし人格者なんで許してやりますが・・・(笑) ![]() 台車に乗せられた棺を全員で一本の綱で引いてお寺を出て、田舎道を火葬場に向けて行進です。雨季というのに葬儀の期間中はほとんど雨が降らず、最後までつつがなく進行することができました。これも故人の人徳によるものでしょう。田舎楽隊もピックアップの荷台に乗って行列に後続してくれます。 ![]() 前回説明した通り、義母(妻)は火葬場にも同行せず、家で待機です。しきたりなので仕方ないとはいえ、ホントこれは切ないねえ。 火葬場に着くと、主だった弔問客からの香典の「贈呈式」が行われ、棺と遺影をバックに「記念撮影」です。これも日本人から見ると違和感を感じる習慣ですね。 棺は火葬台に載せられ、そこで故人のお顔を拝見し、聖水をかけて献花をします。持病もちとはいえ普通に生活している中で急逝されたので、まるで寝ているだけのような穏やかな表情でした。ここでは家族・親族だけでなくご近所の面々も泣き出します。お顔を見てしまうとさすがに「最後のお別れ」を実感せざるを得ないですからね。 ![]() 最後は神輿に仕掛けられた花火が華やかに炸裂し、薪に火がついたところで葬儀は「お開き」です。火葬場を出るときはお清めの聖水に手を浸します。 ![]() タイはお墓を作る習慣が基本ありませんので、お骨は翌日早暁にお坊さんが集めてくれて、なんと「打ち上げ花火」に仕込んで「散骨」しました。んまあ、なんと「パッと散る」という表現がピッタリと思うほど、義父らしい潔い生き方を象徴しているようでした。 「そこにワタシはいません♪」と歌った曲がありましたが、故人の身体は空と土に還って、魂は来世へ向けて転生していくという考え方なんでしょうね。 ![]() さて、8日間+αという長丁場の葬儀を終え、心配なのは残された義母の方です。 ご近所の往来が激しい田舎とはいえ、長く夫婦ふたりだけで仲睦まじく暮らしていただけに、喪失感は相当のものでしょう。葬儀の疲れとかいわゆる「燃え尽き症候群」にもなるでしょうし、連日多数の弔問客に囲まれていたのをいきなり「ひとりぼっち」にさせられません。義兄のところと我が家で交替で暮らしてもらってるのですが、「お父さんが家に帰ったときに私がいてあげないと・・・」と言って実家の方に帰りたがるのは困ったものです。葬儀では夫婦の縁を切るような儀式で送り出したはずなのですが、そうはいっても「ひとの心」までは切れませんからねえ・・・ タイ人の死生観やら田舎コミュニティの「絆」について深く考えさせられた8日間でした。 習慣やしきたりの違いはお国それぞれなので、日本がいい、タイがいいなどと論じることに意味はありませんが、家族・親族・地域が外部サービスに頼らずに「協力」で運営していく姿は、今の日本社会ではできるのかなあ・・・と、そこだけは羨ましく感じました。 (おわり) ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() ![]() 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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シリーズ全3回、とても興味深く拝読しました。
今までタイの葬式はちょこっと行って帰ってきただけというものばかりだったので、詳しい段取りは初めて知りましたよ。 バンコク周辺では「ローイ・アンカーン」といって川で船上から散骨することが一般的なようですが、チェンマイでは空に散骨するんですね。そのような風習もこれまた初めて知りました。 義母さんには、どうか義父さんの分まで元気で長生きしてほしいですね。 (2017年08月21日 22時45分05秒)
Lamyai_daengさんへ
チェンマイでは空に散骨するんですね。 そのような風習もこれまた初めて知りました。 ★だけではなくて、ピン川への散骨、お花畑に振りまく、など複数の方法があります。 生前お墓を作っている、華僑系タイ人はまた別のやり方、さまざま。 形式も様々;6回しか参加していませんから、他の方法があるのかも知りません。 ●「そこにワタシはいません♪」と歌った曲がありましたが、故人の身体は空と土に還って、魂は来世へ向けて転生していくという考え方なんでしょうね。 インドの方式が基本的にタイへ(南伝;仏教)伝わった。仏教は本来‼お葬式には無関係だった、仏陀自身も骨を敬っては意味が無いと、言っていたのに!、方々へ散った。髪の毛の中に隠して、スリランカへ渡った仏陀の歯、等々 日本にも在ると主張する教団があります。 鎌倉時代前半、放置されていた遺体を悼んで,丁寧に葬ってお経を唱えた御坊さんが居たと それが おそらく 初めてではないかと・・・ お葬式は、お坊さんの役割は 時代変遷とともに変化した。 が、本来無関係。 仏教はご存知のように、この世の生き方を教える 学ぶ 初期にはあの世の事はあまり言わなかった、変化したんですね。 北伝仏教の一部の派が、極楽浄土を 発明した 教祖仏教の日本 浄土真宗など 大日教の空海、密教と、顕教の違い(これについては割愛 密教でも、高野山と、最澄が開いた寺では異なりますが、後期の洗練された仏教と、言う・・・、明治以降も新興の宗教が出て来た。 魂は死後 より自由になるらしいことは確かな事。 ★お墓を作らない、これが素晴らしい(と僕は思う 戒名も不要 日本での葬式は経済原理が大きく作用しています、好ましくないと感じます。 ●仏陀は合理主義者でしたね! 地域が外部サービスに頼らずに「協力」で運営していく姿は、今の日本社会ではできるのかなあ・・・と、そこだけは羨ましく感じました。同感です! (2017年08月21日 23時34分18秒)
:シルバーバーチの霊訓(8)
あなたが肉体を携えた霊的存在であること、地上はいつまでも住み続ける場所ではないこと、物的なものは儚い存在であることを悟れば、もしもあなたが死後、霊としてのあなた、不滅のあなた、神性を宿したあなたが蘇って永遠の進化の旅を続けることの意味を悟れば、もしもあなたがそうした悟りに到達すれば、そしてそこで叡智の導きに素直に従うことが出来れば、あなたは自然に死後の生活に備えた生き方をするようになります。 あなたの行動は全て、あなたが到達した霊的レベルによって支配されるのです。 転載記事です! (2017年08月21日 23時40分20秒)
Lamyai_daengさんへ
葬儀の段取りはネットで調べるのと共通しているものもあれば、異なる部分も多々ありました。手伝いの方々がヒジョーにテキパキと仕事をこなすことから、少なくとも郡とか村落レベルでは手順が確立してるんでしょうね。 散骨についてはあまり興味なかったので知らなかったのですが、川に流すパターンなどチェンマイにもありそうなので、今後は注意して聞いてみたりしたいです。そんなしょっちゅう人に死なれても困るのですが・・・ (2017年08月22日 00時42分33秒)
ウーテイスさんへ
いろいろ興味深い知識を教えていただき、ありがとうございます。 確かに日本は葬儀屋さんにお任せのことが多いですね。タイも社会の在り方が変わってきているので、有り得るかどうかわかりませんが、葬儀サービスが進出してくれば需要があったりするかも知れません。個人的にはタイの田舎だけは今みたいなのがずっと続いていてほしいものですが・・・ (2017年08月22日 00時47分21秒)
日本ではお盆という風習やお彼岸など死んだ人が帰ってきたり、身近に「会う」ような風習がのこっているので、嫁さんのお母さんの気持ちはすごくわかります。
日本では「死んだ人を忘れる事が第2の死」と言われるくらい、覚えていてあげる事が美徳ですよね。私もその教えが根付いているので「はい、死んで天国にいくんだからサヨーナラ!」という割り切った気持にはなれない気がして。 (2017年09月06日 08時15分51秒)
gogoよっしぃ!さんへ
死後のことは死んでみないとワカランから、故人のこと思ってあげるのがいいのか、忘れてあげる方がいいのか、悩ましいところですね。 自分が死んだあと、もしこの世に魂の一部なんか残ってるとしたら、忘れてゲラゲラ笑っててくれてる方がうれしいような気もするけどね。 (2017年09月06日 16時20分20秒) |
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