この前、数珠が欲しいと言う御人が居て、おっしやられることに笑ったんです。質素であって粗末でない品物を探して居ると、おっしゃられるんです。もの凄い矛盾なんですが、気持ちは解るから可笑しかったんです。人間の心と言う奴は理屈では割り切れない理屈を作り出すもので、いかなる場合でも好きな道、得意な道を歩くことが大事だなぁーと、そんな滑稽な話しから感じたんです。
すると、その人がこんな話しをするんです。宗教団体「エホバの証人」の女性信者(当時65歳)の家族が、女性の信仰上の理由で手術中の輸血を拒否し、途中で打ち切られた手術後に、女性が死亡していた。病院によると、女性は昼頃に体調が悪化して入院。医者は急性硬膜下血腫と診断し、手術が必要と判断するも、女性自身は意識不明だったため意思表示はなく、女性の息子が輸血拒否を申し出て、書面を提出したという。
手術中に出血が止まらなくなり、病院側が説得したが、息子は応じなかった。手術は打ち切られ、女性は同日夜に死亡した。教団関係者によると、息子は信者ではなく、女性は輸血拒否の意思表示カードを作成していたという。ただ、病院側は入院時には持っていなかったとしている。この話しをどう思われますかとおっしゃるんです。どうも思いませんが、なにか気に障るところがありますかと返すと、宗教とは何が目的なんだろかと?考えさされますと。おっしゃるから、で、何が目的かと言う答えが出ましたかと返すと、まだ、答えが出無いからあなたに尋ねてみたと。
ラッキーはニッコリ笑って、宗教の目的ですか、それは、あなたが欲しがっている質素であって尚且つ粗末で無い数珠を欲しがるのと同じではないでしょうかと返すと。あははは、彼方には叶わん、面白い。参りましたと、お参りに成られました。宗教も仏教も、矛盾の中でもがいて居て、相変わらず欲しがる生き方から離れられないんです。そこから逃れられないから理屈では割り切れない理屈を考え出すんです。頭では解っては居ても、パンツの中が納得してくれない話しと同じです。
特に、このエホバの証人の信者は理解できないと、おっしゃる人は多いです。エホバに限ったことではなく、宗教そのものを否定する人も結構いますが、そんな否定的な話しを聴く度にラッキーが思うことがあります。その様に宗教や信心を否定する人の顏を見ると苦しい顏をしている人が多いですが、信心をしている人の顔は穏やかな人が多いのは事実です。
エホバの証人の信者達もよく見かけますが、穏やかな顏の人が多いし、言葉も小田原ですよ。その反対に信心をしている人を否定する人の言葉は、えげつないしキツイですよ。穏やかに否定する人も少ないのが相場ではありますが。ラッキーに言わせれば、信者の人達よりも、否定的な人の方が、ろくな者じゃーねぇーと言うことに成るんではないでしょうか、なんじゃーかんじゃー言うても。・・・
結論を申し上げますと、困っている人を目の前にして無関心でいられる世の中そのものが一番の罪の様に思うのはラッキーだけでしょうか!
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】人間と言う生き物は、とっさに成った時にその人が現れる。
ラッキーでした(^O^)/
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