宗教心とは、どの様に解釈したら良いのか?信心をする人は愚かな人の様に言う人が居ますが、神仏を信じることは愚かな事なんでしょうかと問われる人が居られるんですが、何も信心する事や信仰する事を恥じることは無いとラッキーなどは思うんですが、兎角、愚かな者ほど神仏と聞くと毛嫌いする人は少なく無い様です。その様な人が居て、とやかく言う口に蓋をすることも出来ないと言うのが現在の日本の社会の現状で、それこそ北朝鮮当たりだと権力者(御上)に対してとやかく言うことは身の破滅を意味して居て、自殺行為だと言っても過言では無い社会構造で成り立っている国もありますが、そのことをとやかく言うことも要らん世話と言うもので、内政干渉と言う言葉も流行ったこともありましたが、人様の在り様に口出しする事自体に問題が生じるんです。
災は、病気も含めて口より出入りするもので、慎むに越したことは無いと常々言っている様に、タコと暇人にはつける薬は無いんですから、いちいち気に止めない事です。最近のラッキーの結論では無知な暇人には、石見銀山も歯が立た無いと言う結論に達していますから、逃げるが勝ちではないでしょうか。そして宗教とは、ラッキーの解釈は自分の信じる道と言う解釈ですから、宗教を持たない、信じないと言う人は、地図も持たず行き先も考えずに見知らぬ他国を旅する様なものではないでしょうか。兎角宗教と言えば新興宗教のイメージが強い様に思いますが、しっかりと言葉の定義を自分自身に知らしめることの大事を知って貰いたい。その様な事がラッキーは宗教の本質だと思っています。
そしてその様な考え方が生きる道しるべに成り、しいては先祖を思う心に繋がって行くんでは無いんでしょうか!「宗」と言う字は、示すと言う意味が強く、中心を貫くという意味も含まれて居て、物事を整えまとめて治すなどの意味も持って居ますから、宗教に道を尋ねる事は大事なことではないでしょうか!信仰する者を非難する愚か者がどれほどの道しるべを持っているのか、表面的に宗教の曖昧な所ばかりを指摘する人は多いですが、その様な人達がその曖昧な深い真理の処まで会得しているのかと言うと遥かに及ばない浅瀬で泳いでいるのが現状の人達ばかりでは無いですか。
現状も宗教戦争は続いて居ますが、だから宗教は嫌いだとおっしゃる人も居ますが、その様な宗教でもあるからまだ、これくらいで収まって居るんで、そんな宗教でも無かったらとっくの昔にこの地球は形をなして居ないのと違うでしょうか!と、言うのがラッキーの宗教に対する観方です。そして自分では何もしない暇人の言葉は他人に対しては厳しいのが世の常で、自分自身に対しては蜜の如しに甘く、自我は強いが気は弱く無責任と言うのが暇人の暇人である特権なんですから相手にするな・・・
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】人が生きて行くことの根本は親切で無くてはならない。
ラッキーでした(^O^)/
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