毎日毎日、寝るから寝るまで腹の立つ事が無い日は無いだろうと思えるほど、何かにつけて怒っている人が居ますが、一番ぼやいていることは、他人のマナーが悪い事を一番指摘している暇人が多い。自分のマナーは、どうなんだろうとは考えた事は無いんでしょう。ラッキーに言わせれば、人のマナーがどうのこうのと言っていること事態マナーが悪いことだと思うんです。人間として生きて行くことは容易いだが人間として道を正して生きて行ける人は賢者です。道を正して生きて行くとは、こうあるべきと人に講釈することでは無く、己がこうあるべき道を真剣に生きて行くことで、人に生き方を要求するものではない。
他人に対して無関心な生き方をしろと言うことでは無く、己の尺度を人に要求する思いを持つと、自分の人生が重たく成りますよと言うことがラッキーは言いたいんです。そして人に迷惑を掛けないだけのマナーを実行して生きて行くことは至難の技です。マナーと言ったって、マナーの基準は人それぞれで、雲をつかむ様な話しで、いずれにしても我々凡人は矛盾の渦の中で、己の心ひとつ思う様に出来ないままに生きていることに気がついて居ない。
昨日こんな事がありました。何時も行く風呂のロビーに向こうずねから血を流して座りこんいるおばさんが居たんです。おっさん連中は、皆、見て見ぬふりでその場を通り過ぎて行きます。施設のスタッフがバンドエイドを持ってきているんですが、出血量が多過ぎます。ラッキーが冗談で焼酎をばぁーっと吹きかけて包帯でも巻いてあげられぇーと言うと、そのスタッフ、はい、解りましたと調子の良い返事をするんですが、笑っているんです。血を流しているおばさんも沖縄の獅子の様な顔を歪めて、泣き笑いしています。
泣き笑いしている、あのおばさんが、色気のある五月みどりの様なおばさんだったら、おっさん連中は帰るどころか、要らん世話を焼いて、あーじゃーこうじゃーと喧しいんだけれどなぁーと、独りごとを言いながらラッキーも帰ったんですが如何なものでしょう。・・・でも、暇人にちやほやして貰える人が幸せかと言うと、これまた、如何なものでしょう。得てしてちやほやしてくれない方が幸せな人生であったりするのが人の世なんです。昔から銭金と色ごとで浮き名を流した人で、幸せに成った人を知りません。この様に相反する結果が待っているのが浮き世と言ってもいいかもしれません。もっともらしい話しに真実は無く、得てしてこっけいな話しに真実が隠れている様に。
人が作り出した基準に、これが正しいと言い切れるものなど無く、己自身のことで真剣に「切に生きる」事を目指し、今、生かされていることに感謝が出来たならば、何ひとつ腹の立つ事など無く成り、幸せが幸せの方からやって来る。この様な生き方が出来る人が賢者と呼ばれる人の生き方ではないでしょうか。
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】質素を楽しみ、贅沢を慎むことが幸せへの近道。
ラッキーでした(^O^)/
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