風邪は、お陰様で立ち去りました。風邪さんも居心地が悪かったんだと思います。本格的な梅雨を迎えて皆様もご自愛くださいませ。今日は、尊厳について講釈します。ラッキーさんは、雑草に肥しをやり、流行って居ない店に好んで入ると言われますが、その訳を聴かせて貰えませんかと尋ねられたんです。訳ですか、想像もつきませんか?と、返すと。想像出来る範囲を越えて居ますとおっしゃるんです。慈悲の心の狭い人だから、究極の損得ですよと説くと、尚、話しが難しく成ると思ったので、仏教的な範囲での話しで説きました。
私が、今、こうして生かされて居るのは、数え切れないほどの命によって生かされて居ると言うことが解ってからは、言いかえれば、もの凄い借金生活で生かされているんだと気がついたんです。なぜ、借金なのか、だって、沢山の命によって生かされて居るのに、何ひとつ私は、返して居ないと気がついんだす。頂くばかりで、返さない。これは布施の法則としてはそれで良いんですが、それでは沢山の命に対しての尊厳を踏みにじっていることに成りはしないか、それでは自分自身の尊厳が損なわれることに成りはしないかと、私は真の幸福に成りたい人だから、その為にはすべての命の尊厳を守ることが大切だと悟り、自分の出来る範囲で他の命に対して幸せを与える道を選んで居る。ただそれだけのことなんですと言うと、眉間にシワを寄せて首を傾げて居ました。まだ、理解が出来て居ないと言うことです。
大自然からも沢山布施をして貰っているでしょう。日本人は、人から何かをして貰ったら、直ぐに、そのことによるお返しをするけど、食する物や癒されているもの達に、お返しはしないでしょう。文句を言うことはあっても。だから、自分自身に苦が付きまとうんです。借金があると苦が生れるのと同じ様に。だから、身軽に成りたくて、すべての命に感謝し、感謝の思いをお返ししているんです。自分の身近なもの達にと言うと。雑草に肥しをやったり、流行らない店で飯を食うことが、そのお返しに成るんですかと、ぬかしてけつかるから、もちろんと言って、にっと笑うと。キツネにつままれたような顔をして、うなって居ました。
ありがとう日記の読者の皆さんは、お金の生きる使い方の法則を知って居るから、不思議な話しには思わないでしょうが、法則を知らない人達には理解が出来ないのが普通でしょう。自分が幸せに成りたいのであれば、すべての命に幸せを与えなければ不公平と言うもので、自分だけと言う道理は成り立たない。そんな事が解って来ると、見栄を張る生活がどれほど自分の苦を作り出して居るかが見えて来るんです。とは、言うものの、人間は衣食住足りて人に徳があることが知ると言う様に、何事も経験しないと納得が出来ない生き物だから、そのことが解る側が、のらりくらりと適当にかじ取りをしながら人付き合いをして行くことが味のある人生に成るのではないでしょうか。
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】物事が解るものが見守って行くことでお互い様が成立する。
ラッキーでした(^O^)/
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