年齢を重ねるほどに、心が求めるもが変わって来ます。経験から来るものか、体力的な要素が大きいのかは定かではありませんが、興味が変わって来ることは確かなようです。例えば、不平不満、愚痴、泣きごと、悪口や嫉妬や文句などを言わない人達を言い仲間とすると、そんな人達と何時も一緒に居ると、耳にする言葉は、「よかったね」と、言う言葉で供に喜び合える楽しい関係に成って行きます。が、その反対に、何時も口を開けば否定的な言葉が口をついて出る人達と何時も一緒に居ると、段々と喧嘩に成り険悪な関係が生れて来て、病も同時に引き寄せ始めます。
エゴスティックな感情が病気を引き寄せて来るからで、内臓は心の写し絵、肉体は内臓の写し絵で、もし、生活習慣病にかかったとしたら、それは今の生き方は間違っていると言う魂からのメッセージなんです。年齢を重ねるからこの様な事が解って来るというものでは無いんですが、少なくとも年齢を重ねることで、自分の居心地の良いポジションや在り方は大事に考える様に成るのではないでしょうか。
若い時なら、あそこにも行って見たい、あれも食べて見たい、これも食べて見たい、あれも欲しい、此れも欲しいと欲張り、知り合いがとこかに遊びに行くと聞くと、もう、それだけで妬ましかったりしたものですが、年齢を重ねる度に、その様な妬ましさは消え去り、何処へ、何をと言うよりも、誰と行く、誰と食べる、誰と飲む、この様に、相手が大事に成って来ます。当然、年齢には関係なくあいからずの人も居れば、若くても精神世界に安らぎを求める人も当然居ます。
仏教に「隋喜功徳」という言葉があり、人の幸せや喜びごとを喜んであげるだけで、徳が積めると言うもので、一番楽な徳積の方法だと思いますが、中々人の幸せや喜びごとを心底から喜んで上げられる人と言うのは少ないもので、それゆえに、この世に難義事が蔓延しているんですから。だから、尚のこと、誰と、と言う時間が大事に成って来るんです。
話しが、ころっと変わりますが、今日、お客さんの家の玄関に、三十年ほど座って居た大黒様が、家にやって来ました。新築の家に引っ越しして片付けて居るんだそうで、大黒さんが座る場所が無いと言うので、頂いたんです。不思議な御縁です。丁寧な一刀彫りで顏の表情がとても良い。立派なケヤキの大黒様で、ついこの前までファックス電話機が座って居た場所が電話機が壊れたので空いたばかりの処へ、高さ41センチで丁度良い大きさの大黒様が鎮座する事に・・・来るべきして予定通りに来た大黒様なんだね。
最近、高価な貰い物が続いているんです、ついこの前は、ピタクラフトの26センチの鍋を五点頂いんです。殆んど使って居ない綺麗な鍋です。流れが変わり始めていることは確かな様です。この様に流れがあるんです、人生て、それをどの様に受け止めて行くかで運命が作られる様です。・・・
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】年齢を重ねるにつれて良い物より良い人が大事に成って来ます。
ラッキーでした(^O^)/
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