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テーマ:お勧めの本(7388)
カテゴリ:ブラームスの本棚
(この年になって漫画の話で恐縮ですが,たぶん最初で最後なので,勘弁してください。) あまりにも壮大すぎたこの作品,いったいどんな終わり方をするんだ?そもそも終われるものなのか?とカウントダウンが始まって以来気が気でなかったのだが,静かにテーマを回顧するブラ3(先日ご紹介)のフィナーレのコーダのような,薄霧が消えていくような美しい終わり方だった。お見事。(いったいいつ曹操は死んだのか?それをうまくぼかした効果は絶大だった。) この漫画,要は曹操を主人公とした三国志の話なのだが,一人一人のキャラクターの描き方が強烈で,特に,「三国志演義」では「理想的聖人君子」たる劉備のイメージを180度覆し,着実に現実世界を掌中におさめていく曹操に対して,「裏社会」としてのコントラストで描いたのは特筆すべき快挙だった。(逆に,もう誰もこの「甘ったれ劉備」のイメージから逃れることはできないだろう。) 次に,関羽。 関羽はなぜに神となりえたのか。関羽という男の最大の理解者としての曹操をその過程にかませることによって,関羽という名に込められた意味に迫ろうとした。(一方,関羽の存在を追いかける者としての張遼は,単純にして魅力的だった。)関羽はこの「蒼天航路」の世界の中で,常に通奏低音のような役割を果たしている。 三番目に,諸葛孔明の描き方。 若くして庵を結んで自分の世界に引き篭っていただけに,天才かもしれないけど妖しく世間知らずで傲慢な若者。「三国志演義」のように,「ピンチのときに必ず現れる正義の味方」でないところがリアルだし,曹操という存在を追いかけ必死に迫ろうとするが結局存在すら見止めてもらえないところがまたなんとも。曹操の前では彼の存在は「幼稚な虚構」。(諸葛孔明は,その「虚構」によって歴史と物語の狭間に存在する男である。)しかし,この常識外れの諸葛孔明の存在感は格別で,曹操の「精神的後継者」として後半の主役に据えて三国志全般をカバーする形での「蒼天航路」を続ける手法も選択肢としてはありえたのではないかと思うが,どうだろう。(かなりくどくなるとは思うが・・・) しかし,この「蒼天航路」によって一番男を上げたのは,なんと言っても夏候惇である!カッコいいオヤジだ! ともかく,この「蒼天航路」に登場するキャラクターは,単なる歴史上の人物という存在を超えて,まるで哲学者のように思索し,哲学者のような言葉を吐き,哲学的な意味を求めて行動する。 いや,「まるで」「ような」ではなく,彼らは完全な哲学者である。 自分の存在と行動に常に「問い」を発する哲学者。 蒼天航路の数々のセリフを目にするたびニーチェの「権力への意志」を思い出すのは僕だけかな? これは実存主義哲学的三国志か??? 第一話の最初に登場した「ton」(すみません外字なので)という怪物の教訓。 今日の最終話にもさりげなく登場した,欲の怪物「ton」。 際限ない欲望のままに世界を喰い尽くし,満足するということを知らない。ついには喰うべき世界そのものがなくなってしまうと自分自身を喰ってしまい,最後にには「無」しか残らないという恐ろしい教訓。 しかし,この曹操という男の生涯を描くことにより,あらゆる欲望はあらゆる発展と感動の原動力であるという真実を示す。 われ欲す。ゆえにわれ在り。 「生きる」ということの厳粛な真実。 最終話での「ton」の浄化されたイメージは,人間が持つあらゆる「欲望」に対する静かな肯定である。 たとえそれが汚らしく忌むべきものであったとしも。 たとえ最後に訪れるものが「無」であったとしても。 そして,あらゆる欲望の原点であり,しかも人間が持つあらゆる欲望のなかで最も純粋で美しいのは,若い男女の無垢な恋である。 曹操の青春時代の象徴「水晶」をラストで持ってきたのは,そういうテーマであるというふうに僕は解釈したのだけど,どうかな。 僕は就職して以来ほとんど漫画というものを読まなかった(「のだめカンタービレ」を除く。)のだけど,この「蒼天航路」だけは例外だった。 しかも連載はいつも仕事帰りの立ち読みで済ませていたが,今日の最終回だけは朝いちでキオスクで買って電車の中で読んでしまった(僕自身は電車で漫画を読んでるサラリーマンの姿を見るのはあまり好きではないのだが・・・今日だけは例外)。 作者の王欣太さん,原案の李學仁さん, 11年間お疲れ様でした。 心から敬意を表します。 ありがとう。 ひとりごと:「とりぱん」が好きです。「へうげもの」も好きです。でも,「エレキング」はもっともっと好きです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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