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カテゴリ:人生について
人は育てられたようにしか人を育てられない。
という言葉を以前聞いたことがある。 じゃあ私は自分の子どもを虐待するということ?という恐怖に当時怯えた。 妊娠中だったと思う。 でも5年半母親やっているけど、今のところ虐待してない。 虐待してしまうかもという恐怖感が常にあるからか色んな人に色んなものを委ねて1人で抱え込まずに沢山の人で子どもを育てられてる。 でも、これは自覚していなかったら、本当に同じことを繰り返すんだろうと感じる。 私は、かつての母に、祖母に、なり得るという不安と恐怖感があるからこそ、常に自分の精神状態や体調に気をつけて生活することができてる。 大人になって親になった今なら、何故あの時親はあんなことを?とか祖母はあんなことを?という当時の虐待の理由が分かるようにはなった。 理解できるよ。 ああ、その状況じゃ確かに子ども虐待してしまうほど追いつめられちゃうよねって。 ああ、その状況じゃ見ないふり気づかないふりしちゃうよねって。 だから、それを分かることで許すこともできるようにはなった。 でもね。 許すというのと、信頼するっていうのは違う。 両親が私を信頼していても私はしてないよ。 理由は分かるけど、それでも。 虐待なんかすんな。 見て見ぬふりすんな。 子どもが自殺しちゃおうかな?って思っちゃうような環境作るな。 心が弱いのは、私もそうだし、仕方ない。 だけど。 私は、もし自分が壊れそうになったら、恥も外聞も気にせず、何をしてでも、そこは踏みとどまる力だけは持っていたいと思っている。 最近、色々と親とのことで苦しい精神状態が続いているけれど、何だか少しだけふっきれた。 何とかみんなが幸せになれるようにと思って、今必死に頑張っているけど、それは親のためにやってる訳じゃない。 私と私の家族のためにやってる。 だからぶっちゃけ究極な話親がどうなろうと、本当はどうでもいい。 ということを確信した。 何か大きな決断をしなければならないとき、この確信がきっと私を助けてくれるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月14日 10時59分37秒
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