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カテゴリ:トルコで「観る」&「読む」
ブリジット・ジョーンズが帰ってきた。 さらに立派(?)に、重々しくなって。 そして、少しばかり歳をとって。 前作『BRIDGET JONES'S DIARY』(2001)から3年。 主役のレニー・ゼルウィガーは35歳、ヒュー・グラントは44歳、コーリン・ファースもまた44歳。 歳をとっていない方がおかしいのだが・・・・。 誰もが幸福を求めながらも、恋と仕事と人生の絶えざる闘いに、中年への入り口で早くも疲れかけている男女というプロフィールのせいか、2作目がゆえの疲弊か。 主役3人のうちの特にふたり(レニー・ゼルウィガーとヒュー・グラント)の面影に映る、役柄だけでは説明できないたるみや老いを目の当たりにして、どこか切ない思いに駆られたのが正直なところである。 役柄のために15キロも強制的に太ったというレニーの役者魂というか、その根性を称えたいとも思うが、短期間に、また必要以上に太ったためのむくみや皮膚の突っ張りは隠せない。 マーク・ダーシー(コーリン・ファース)との充実した恋愛関係を続けている割には、タバコと酒と不摂生な生活の手放せなかった1年前(最新作のストーリー設定は、前作の1年後)ほど、ブリジット(レニー・ゼルウィガー)は幸せそうには見えない。幸せ太りというより、自堕落な太り方に見えてしまうのだ。 まるで、前作に認められた、ハツラツとして小生意気な彼女のキャクターの、輪郭までがぼやけてしまったかのようだ。 そして、ヒュー・グラント。 何を隠そう、前作を観るまで、長らく「隠れヒュー・グラント・ファン」であった私の憧れは、この最新作で決定的なダメージを受けた。中年にさしかかった男の渋みを味わうどころか、そのハンサムなマスクに忍び寄る老いの影が、どうしても目に付いて困った。 筋肉質でない痩せた男性ほど、年を重ねていった時に、より老けて見えるのだということが、しみじみ実感できる。アル・パチーノもそうだった。 中年を過ぎて一層チャーミングに見える男性は、たいてい肉付きのいいタイプではないだろうか。 いやいや、さんざん主役ふたりをこき下ろしてしまったようだが、作品としては前作同様面白いのは間違いない。笑いのツボはちゃんと用意されている。 ただ、2作目の宿命か、新鮮味が感じられない。なにもかも予定調和的なのだ。 ブリジットは相変わらずお尻のクローズアップを撮られているし、豚の糞まみれ、葉っぱまみれ、泥水まみれである。ドレスコードでさんざん苦労した挙句、化粧に失敗するし、歯に衣着せぬ発言も相変わらずである。 そしてエンディングも、予定調和的であるのはもちろんである。 ところで、『THE EDGE OF REASON』というサブタイトルは、いったいどういう意味なのだろうか。 トルコ語では『MANTIGIN SINIRI』と訳されていて、オリジナル・タイトルの直訳であるが、MANTIKマントゥックは道理、理屈。SINIRスヌルは境界、限界という意味である。とすると、道理(理屈)の通るギリギリの線・・・・という感じなのだろうか。言われてみれば、ストーリーの基調にあるのがそういうことなのかな、という気もする。 そこで、邦題はどうなっているか気になって調べてみたら、エッと驚く意外なサブタイトルが与えられていた。 『きれそうなわたしの12か月』というそうだ。なんとも・・・若い女性層に媚すぎるタイトルではなかろうか。ストーリーから随分かけ離れているというか・・・少なくとも、最新作のブリジットは、ちっともキレそうではなかったが? 私のHPのタイトルにも、ちょっと似てたりして・・・。 オススメ度は、★★★☆☆ (・・・・今回から、個人評価を入れることにしました) なお、 オリジナル・オフィシャル・サイトはコチラ 日本語版オフィシャル・サイトはコチラ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004/12/09 03:52:25 PM
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