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カテゴリ:トルコ的生活/わたし的生活
一日の間に、イスタンブールでの仕事を終え、イズミールに立ち寄り、夜11時発のバスに乗った夫が、早朝6時に我が家に辿り着いた。 綱渡りのような日程を、すべてギリギリのタイミングで上手くこなし、電話で娘たちに約束した通り予定ぴったりに到着。 すやすやと眠る娘たちの脇に滑り込み、添い寝をする夫。娘たちが気がつき、大喜びで首っ玉に齧りつくのを楽しみにしているのだ。 子供たちへのお土産を披露し、日本食などの一杯詰まったバッグを空にすると、家族全員で朝食のテーブルを囲む。 私は夫好みのメニューを用意した。昨夜作っておいたほうれん草とパンジャル(テンサイの葉)の煮物に卵を落としてユムルタル・ウスパナックにし、トマトとマッシュルームのソテーも作った。 食事が一段落して子供たちがテーブルを離れると、夫は、義兄の亡くなる直前の様子、死の原因などについて、家族や親戚たちに聞いた話をもとに、ぽつりぽつりと話して聞かせてくれた。 ・・・・ クルバン・バイラムに合わせて郷里に帰った義兄。 カルカンを出た時から、すでに身体の具合は相当悪くなっていたらしく、これが最後の別れという覚悟をしていたものらしかった。 しかし、なぜか母親のところにも妹のところにも顔を出さず、安ホテルや親戚宅などを泊まり歩いていたらしく、そのために母も妹も随分悲しんだという。 3番目の兄のところに立ち寄っては、俺はもう終わりだからと、遺書のことを口にしたり、夫に対し過去にしてきた酷い仕打ちについても、「さんざん悪いことをした俺に対し、あいつは仕返ししたことはなかった」と自らの過去を反省するような言葉を残したという。 結局、母や妹の顔も見ないまま郷里を発った義兄は、ますます具合が悪化していたにもかかわらず、病院に立ち寄りもせず、アンタルヤまでの途中で一泊して休憩することにしたらしい。 ベッドに横になり、ふうっと力を抜き、手を頭の近くまで持ってきたところで、心臓が停止したのだった。 (「車が滑って」というのは、私の単なる聞き間違いだった。泣きながら伝える義妹の声と私の動転もあって、「カルピ・ドゥルドゥ」(心臓が止まった)がなぜか「カイドゥ」(滑った)と聞こえたのだった) ベッドメイキングの時間になっても起きてこない義兄の部屋に入ったホテルの人間によって、義兄の遺体は発見された。 車の中からは、飲みかけのラク(ブドウの蒸留酒で焼酎並みの強い酒)の瓶と紙コップが発見された。 ・・・・ 夫が郷里に着いたのは、深夜2時半は過ぎていたという。 アダナの空港から長距離バスの通る国道までタクシーで行き、そこで1時間近く待ったが、1台もバスは通らない。結局タクシーを呼んで、80kmはある郷里までの道を飛ばしてもらったという。 母の家の前に着いた夫は、しかしすぐには家の中に入れなかったという。 横に止められた白いバンの、その中に兄が横たえられているような気がして、そこから離れられなかったという。 家族にも誰にも気付かれないまま、泣きながら5時頃まで玄関先に佇んでいたのだという。 母も妹も、家族全員が、夫が来たことで随分安心したに違いない。 とくに妹は、夫の顔を見るまで、葬儀は一体どうなるんだろうと、心配で仕様がなかったらしい。 心理的にも経済的にも、家族が一番頼りにしているのが、夫だった。 訃報が入った時点で、取るものもとりあえず母の家に駆け付けた家族の面々は、葬式代どころか、帰りのバス代にまで事欠く状態だったのだ。 イマーム(イスラムの僧侶)への謝礼、墓の準備、弔問客への食事代、家族の交通費・・・全てをつつがなく手配・準備できたのも、夫が間に合えばこそだった。 墓穴の中に遺体を降ろす役は、夫がやったという。 「重かったなあ・・・」と思い出しながら、夫がつぶやく。 酒好きな兄のために、車の中から出てきたラクの瓶を棺に一緒に入れようと提案して、皆んなに反対されたと苦笑い。 自分のことを、もうひとりの兄に語ったという言葉を伝える時には、涙もろい夫のこと嗚咽を押さえることができなかった。 ・・・・ 「不思議だなあ、と思うんだ。説明しても分かってもらえないかもしれないけれど・・・」 夫が、兄の死にタイミングを合わせたかのように帰ってきたことも、偶然といえば偶然である。 実は25日から4日間の臨時の仕事があって、それを終えて29日の便に乗ろうと考えていたという。 しかし、なぜだかその4日間が無駄なものに思え、26日の便に運良く空席も出て、早く帰ってくることができた。 私からの電話で兄の訃報を聞かされたとき、「やっぱりなあ~」と夫がつぶやいたのは、何かがあるという予感がしていたからだったという。 このような偶然に恵まれたことのない方々には、本当の「単なる偶然」にしか思えないだろうと思うが、夫は昔からこのような「必然」のような「偶然の重なり」をよく経験している人間である。 私自身は、霊感や予知能力などとは無縁の鈍感人間であるが、なぜだか子供の頃から、常ならざる現象を無条件に信じていた。 「ひょっとしたら、お兄さんも、ババ(夫のこと)が来るのを待ってたんじゃないかなあ。具合が悪くていつ死んでもいいくらいだったのに、神様が何日も持たせてくれたんだよ。きっと」 夫は、葬儀のための臨時出費についても説明した。私にも、そのことは気掛かりのひとつだった。 夫にしても、葬儀やもろもろの準備にかかる何十万円もの大金がいつもポケットに入っているわけがない。 お世話になっている取引先の会長さんが、夫の出発間際に、仕事の前払い金数十万円を、ポンと先払いしてくれたのだという。 その一部を使わせてもらうことで、イマームへの謝礼も払い、300人にものぼる弔問客への食事を準備し、バス代のない家族にチケットを買ってやることができたのだという。 それもまた、偶然というには不思議で有り難い巡り合わせである。 人の運命を知り、人と人との巡り合わせを導き、その時々で本当に必要としているものを与えてくれる、このような超越的存在を神と呼んでいいのなら、今回の不思議な偶然にも、きっと神様の裁量が生かされていたのだと、そんな気がしてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005/02/03 04:29:06 AM
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