下の娘ナナのオクマ・バイラムが終わった。
*オクマ・バイラムとは:
1年生になり、初めて読み書き(オクマ・ヤズマ)を習った生徒たちが、どこまでトルコ語や英語の読み(オクマ)や暗記(エズベル)ができるようになったか父兄に見てもらうための発表会で、毎学年同様の発表会をするのだが、1年生の発表会に限ってはオクマ・バイラム(読みの祭)と呼ぶらしい。
昔はおそらく、舞台上で本を開き、実際に文章を読んでみせたりもしていたのだろうと思うが、今やオクマ(読み)とは名ばかり、実際はコーラス・劇・ダンスで構成されたいわゆる学芸会である。
働く父兄が多いので、それに配慮したのだろうか。以前は午後2時頃からの開演が多かったが、最近では大抵4時半などという遅い時間だ。
それまで、生徒は自宅待機。
いま何時?あと何時間ある?と繰り返し訊くほどに暇をもてあまし、退屈で昼寝までしてしまったナナを無理やり起こし、
例のTシャツとスカートを着せ、近所の美容室に連れて行く。
毎年のことで慣れているはずが、多分にあがってしまうのか、時間の調整にいつも失敗してしまう私。まだ早いなあと思っているうち、いつの間にかギリギリの時間になってしまう。
ナナの薄い髪の毛をムースや電気ゴテ
(正確な名前は?)を総動員して膨らましアップ状にし、造花の冠をしっかりつけもらう。
昨日担任教師に聞いた話
(プログラムの順について、事前に何の説明・案内もないし、何を着て来させてという連絡もないので、問いたださないといけない)では、最初はTシャツ&スカート姿でのコーラス。その後で花役の衣装に着替えるというので、脱ぎ着をしても落ちたりずれたりしないよう、しっかり留めてもらう必要があった。
実は、「ハートゥラ・チチェイ(思い出の花)」という響きから清楚な野の花をイメージし、髪の毛を長いままフワフワに膨らませ、額の上から耳のあたりにかけ三つ編みにし、そこに造花を留めてもらうつもりだったのだが、「髪が少ないので無理。落ちてしまう」と、一見演歌歌手のようなアップ・スタイルにされてしまったのだ。
学校のキュルトゥル・サロン(文化ホール)に開演の30分前、4時に集合のはずが、美容室が終わったのがちょうど4時。いったん自宅に戻って衣装や花カゴを取り、キュルトゥル・サロンに着いたのは4時15分になろうという頃だった。
すでに舞台裏はゴチャゴチャ。なにしろ今回は、1年生3クラス合同なのである。
それぞれ10~15人ほどしかいない小さいクラスばかりなので、3クラス合わせて40人ほどなのだが、舞台裏はそれには狭すぎ、準備に追われる先生方に着替えの衣装を手渡したものの、衣装を置く場所すら点々バラバラ。脱いだ服等を入れるための名前を書いたビニール袋を用意、との指示だったが、それをまとめて置く場所すらはっきりしていない。
よぎる不安。例によって、オーガナイズ皆無のトルコ式か。。。
おまけに、わざわざ新調したサンダルは、すぐにピスィピスィ(簡易バレエシューズ)に履き替えさせられてしまい、結局舞台では最後まで日の目を見ることがなかった(涙)。
国歌斉唱および校歌斉唱に続いて、トルコ語と英語のコーラス。
それが終わると、生徒たちは着替えのために舞台裏へ消え、その間、パソコンを使って編集された生徒たちの日々の授業風景がスクリーンに映し出される。
舞台裏では、コーラス用の衣装から劇用の衣装への着替えが行われている。
ちょっと心配になって舞台裏を覗きに行く。すでにほとんどの生徒の着替えが終わり、ナナも髪を崩されることなく、ちゃんと着替えさせてもらったようだ。
花カゴも紛失することなく手に持っているのを確認し、安心して席に戻る。
やがて2つ目のプログラム、トルコ語劇が始まった。
女の子は全部で何人いるだろうか。20人近い女の子全員が、何らかの花に扮している。バラ、チューリップ、カーネーション、スミレ、パパティヤ(マーガレット、カモミール類)、菊、ユリ、藤、ジャスミン、ミモザ、カルデレン(スノードロップ)・・・・。
男の子たちが扮するのは、庭師、果樹、その他の木々。
これから、庭にあるすべての花々による長い長いギュゼルリッキ・ヤルシュマス(美人コンテスト)が開かれるのである。
女の子のほとんどがロング丈の、いわゆるゲリンリック(花嫁衣裳、または花嫁衣裳タイプのドレス)姿。1年に1度の「晴れの舞台」を飾るため、念入りに化粧を施してもらったり、綺麗に髪を結い上げてもらっている。
毎回どの発表会でも同じ風景が繰り返されるので、こうなることはよく分かっていたが、今回、ナナの装いは地味を承知で控えめを心掛けた。
なぜなら、庭の片隅に植えられた「思い出の花」は、ひっそりと咲くなかにも可憐な美しさで人を惹き付けるタイプの花と想定したから。借り物のワンピースは、そのイメージにピッタリだった。
さんざん待って飽きたらしく、何度も大あくびをしていたナナの出番が一番最後にやってきた。
ところが「思い出の花」は、ナナ以外にもふたりいた。
そしてふたりとも、なんともドギツイ化粧と派手なドレスで、私の抱いた「思い出の花」のイメージをぶち壊しにしてくれた。ひとりなぞ、青に緑に黄色に赤にといった、まるでピエロの衣装のような色とりどりの継ぎ接ぎドレス。
コンテストは結局、「思い出の花」が一番という結果で終わるのだが、隣の女の子の妙に派手な衣装に呆気にとられているうち、ナナの出番もあっというまに終わってしまっていた。
おまけにあろうことか、あれほど悩んで用意した花カゴを、ナナは足元に置いたまま忘れてしまい、マイクの前に立つときは見事に手ぶらだった。
なんとまあ。サンダルに続き花カゴも出番なく終わってしまったとは。。。。
私も馬鹿だ。たかが5分、10分の出番と知りつつも、娘の晴れ姿を思って真剣に用意したというのに、結局出番もないまま終わってしまった花カゴやサンダル・・・・。
2度目の着替えが終わった。
最後のプログラムはいつもダンスと決まっている。が、生徒たちが舞台に登場してビックリ。ダンスはダンスでも、リトミックダンスではなくハルク・ダンス(民族舞踊)用の民族衣装姿だったのだ。
(え~?じゃあ、あのTシャツとスカートも、もう出番なしなの~?)
思わず、聞いてないぞ~、とムッとするが、それで初めて合点がいった。前日ナナが持ち帰ったメモに、持って来てもらうものとして「イェメニ(被りもの、ターバン)」とあったのだが、何に使うか合点が行かなかったのだ。
40人全員が一堂にとはいかず、最初のグループ、後からのグループと
2グループに分けられ、同じ踊りを異なる衣装に身を包んで踊る。
締めくくりとして、先生方への花束贈呈。そして一人一人生徒の名前が呼び上げられ、ディプロマの代わりとして学校や校長・教頭・担任教師の写真と、本人の大きな写真とがひとつにまとめられたアルバムが手渡された。
自然にお開きになり、アルバムを持ったナナの写真を撮っていると、近くにいた男の子が見慣れた造花を手に握っているのに気付いた。
「それ、どこで見つけたの!?」と問いただすと、「下に落ちてたよ」と言う。
「ごめん。返してね」といって男の子の手から造花を取り戻すと、私は焦って舞台裏に駆け込んだ。
案の定、あの苦心の花カゴが、花々が抜けた哀れな姿となって床の上に転がっていた。
(うう。。。25YTLもしたのに。。。)
しかし、無残な姿を晒していたのは、ナナの花カゴだけではなかった。生花が用いられた花カゴなどもっと哀れなことに、床に落ちた花々が靴に踏みしだかれてつぶれていたのだ。
それから今度は脱いだ衣装探し。脱いだ服はそれぞれ名前を書いた袋に入れられるはずだったが、大混雑のあげく完全に無視されてしまったらしい。
借りたワンピースは割りと簡単に見つかったものの、脱ぎ捨てられた状態で床の上で丸まり、あやうく靴で踏みにじられようとしていたし、Tシャツとスカートは、あっちこっちに散乱している上、私同様ほとんどの人が名前を書いておかなかったために、どれが誰のものか分からず、まるでバーゲン会場か宝探しゲーム状態。サイズだけ覚えていたので、それを手がかりに探し、最後の最後にナナのものと思われるものが手元に残った。
(もう~焦ったよ~。52YTLも出したんだから~)
いつものごとく、「修羅場」という表現がピッタリのオクマ・バイラムであった。
(しかし、2度とごめんだよ~、40人の大所帯は。
それに先生が何人もいるんだから、衣装の管理くらい、しっかりしてくれ~!)