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今日は、美術史入門の日本近代でした。明治から昭和のはじめまで70余年、ということでしたが、日本の洋画の始まり、平賀源内、そして司馬江漢も出てきたので、1700年代からですから長いですね。
江戸時代、本の挿し絵などで、西洋の絵画を感じ、学習していたということです。 講師は、損保の東郷青児美術館の学芸員五十嵐卓氏でした。 五十嵐氏の次の言葉には、驚きと、厳しさとそして納得するものを感じました。 「日本の近代洋画は絶えず、その時々の西欧のさまざまなエコールの一つ一つを移入、模倣する形で、展開を見せたのであった。いってみれば、西欧画壇(パリ画壇)という花園から、そこに咲いた一枝一枝を日本画壇に移し植えたというよりも、その見事な切花を日本の画壇という花瓶に差し込んだと言った方がよく、従ってそれは自己の根を持たない、やがては枯れすぼむ、吐かない切花の華やかさに似ており、その挿花の美をいつまでも保つためには、切花を終始取り替えるよりほかないのである。」 ここまで言ってしまうと、命を削って絵画に取り組んだ多くの画人に申し訳ない気がしますが、近代絵画のありようを「切花」とはよく言い当てていると思いました。 もちろん、独自の世界を切り開いた藤田嗣治のことなどの話もされました。 1920年代のパリの日本人画家を3つのグループに分けておられます。当時約400人もの日本人画家がパリにはいました。 1つは、藤田嗣治とその周辺の画家。 2つは、ブラマンク、マチスなどの影響を受けたフォーヴ系。 3つが、ピカソ、ブラックなどの影響を受けたキュビズム系。 2の代表が、佐伯祐三です。 3は、東郷青児です。 つかみやすい分類だと思いました。 ブラマンクについては、一昨年でしたか、東郷青児美術館で初めてたくさん見ました。こんなにも日本の絵画に大きな影響を与えていたのも知りませんでした。 遅い勉強です。でもけっこう楽しんでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.11 22:03:47
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