世田谷城阯公園へ行ってきました。
案内によると、昭和15年に開園した世田谷区内唯一の「歴史公園」で「東京都指定文化財」にもなっています。
公園はそんなに広くないのですが、土塁や丘、堀の跡があり、まわりには樹木も茂って、歴史を感じさせます。
世田谷城は、世田谷吉良氏が南北朝の頃、関東管領・足利基氏から戦の手柄により、武蔵国世田谷領をもらいうけて築城したのが始まりであると言われています。
以後、世田谷吉良氏八代、二百数十年の間、居城として栄え、吉良御所、世田谷御所と呼ばれました。
吉良氏については、3系列はあるようですが、なかなか複雑で、今は説明出来ません。
赤穂事件の吉良上野介の吉良も祖先をたどると同じになるようです。
とにかく「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とまで言われた名門なのです。御所というのは足利尊氏のことです。
その世田谷吉良のお城跡です。
石垣がたくさんあるので、それも昔からかと思ってしまいますが、石垣は最近組んだものだと思います。
あくまで、平城で、今の豪徳寺あたりが、吉良氏の住まいで、公園のあたりは詰城ということです。郭跡も残っています。
今日は、仲間のボランティアの人たちと下見に来たのですが、この公園は、時間が無くなったというので中を見ないで通り過ぎてしましました。
しかたないので、終わってからもう一度来ました。
それが良かったです。
下見の最後が、大場家の代官屋敷跡だったのですが、そのあたりまで、城下だったわけで、その城下を世田谷線の上町駅を抜けて、城山通りを歩いて、城跡まで来ました。
途中城の天然の濠だった烏山川の、今は暗渠になった「緑道」もありました。
町が世田谷城の町が見えた感じがしました。
ちなみに、代官屋敷跡の通りは、ボロ市が開かれています。これも北条氏政(吉良氏は北条氏に従っていました)の「楽市掟書」により世田谷城下で始まった楽市を嚆矢としているそうで、歴史は続きます。それは、世田谷に残る鷺草伝説にも言えます。