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カテゴリ:音楽
今更ながらであるが、のだめカンタービレの最終章の前編の映画をTVでようやく録画で観る事が出た。
巷でも、かなり昔から、この有名な逸話が、色々と噂され、素晴らしいと絶賛されているようだが、 以下の言葉が耳に残った。録画して何回か繰り返し聞き取り、筆記した。 概ね、以下のような内容であったと思う。 -コンサートマスターの言葉- アンサンブルの神髄はハーモニー。要するに「調和」だ。 音楽の本質は「調和」にあり、それを表現するのが真の「音楽家」なのだ。 -千秋の言葉- ポエティウスやダレッツォが言っていた言葉だと思うが・・・ 中世では、神の創った世界の調和を知るための学問が 天文学、幾何学、数論、音楽だった。 音楽理論を熟知して、理性の力によって作品全体に対し入念に音楽が判断できる人を「ムジクス」(音楽家)と言い、 ただ音を歌ったり、演奏したりする人を「カントル」(歌い手)と言った。 カントルは、「カンタービレの語源だ」 -- のだめカンタービレのタイトルの通り、のだめはカントルで、千秋はムジクスを目指しているということなのだろうか。 また、のだめは感性的天才的の象徴で、千秋は理性的天才の象徴なのかもしれない。 なにゆえか、ムジクスの方が、カントルよりも上位であるかのような表現でもあるが、しかし、この両者は全く別々のものでもなく、お互いの要素をシェアしあうものだろうし、また、本来ムジクスの進化形とカントルの進化形は融合可能なもののようにも思う。 天才的な感性の発展は、瞬時に音楽の理論を超えて理解し、音を楽しめる筈だし、 理性的な天才は、その音楽の理論を極めて行くうちに、音楽を瞬時に歌い表現もできるようになるのではないか。 いくつもの曲達、沢山の、多くの曲たちを演奏しているうちに、感性の天才は、その中から、理を見いだしてしまう。 千秋に追いつくべく、壊れずに、カントル、カンタービレを忘れずに、音楽を極めよ、練習あれ、。 後編については、そのように、のだめを応援したいものだ。 既に、千秋は、森羅万象、宇宙の調和の根本原理に少しずつ近づきつつある。 シュトレーゼマンは、のだめに、ムジクスになることを望んでいるのだろうか。 いや、もしかすると、のだめには、究極の最高のカントルを目指して欲しいと願っているのではないだろうか。 ムジクスとカントルは対極をなすものではなく、対になって、お互いにシェアされつつ存在し続ける、それが調和ということであるようにも思う。 -本日のピアノ徒然 アルベニス タンゴ チャイコフスキー バルカローレ メトネル プリマヴェーラ ラフマニノフ エチュードタブローOp.39-5 シューマン トロイメライ ルビンシュタイン メロディ in F ドビュッシー レベリー ドビュッシー 金色の魚 以上 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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