オリジナルSS「教室」 後編
ある春の日。「おや?」「ん?」 季節外れの汗ばむ陽気の中、最寄りのコンビニに立ち寄ったところで、クラスメイトだった(今現在もそうなのだけれど)彼女―――栗林あかねさんに出会った。彼女は、容姿端麗、成績優秀、誰に対しても超然さを失わないことから、一部のクラスメイトからは敬意と畏怖を込めて「あか姉」などと呼ばれていたりもする。女子にしては背が高く、僕と目線が変わらない。そして、腰までかかろうかという艶やかな黒髪を垂らしている。そんな容姿も、みんなに一目置かれる一因なのだろう。 今日もその顔立ちは変わらないが、いつもと違うところは私服だということだ。「やあやあ、誰かと思えば私のメッシー君じゃないか」「・・・奢らないから。あと、言葉が古いよ」 つれないね、と笑う彼女の私服は、薄手のシャツに短パンという思っていたよりもラフなものだった。一瞬目に入った素足の眩しさも手伝って、僕のツッコミはワンテンポ遅れた。どぎまぎしてしまった僕の内心に気づく素振りもなく、彼女は質問してきた。「学校の外で君に会うなんて珍しいこともあるものだ。どうしたんだい、こんなところで」「あ、うん。最寄りのコンビニがここなんだ」「そうなのかい? 奇遇だね、私もなんだ」「あれ、そうなの? じゃあこの近くに住んでるんだ?」 知らなかった。「ああ。でも高校進学と同時に引っ越してきたからね。君が知らないのも無理はないさ」 近くに住んでいたのなら小中学校で同じ学校になってもよさそうなものだけれど、一度もそんなことはなかったなあ、という疑問は、彼女自身の言葉で解決した。「この街はいいね。少なくとも私が住んでいた・・・っと、邪魔しているね。中に入ろう」 コンビニの出入口を塞ぐ形で会話をしていた僕たち。僕が入店するところだったことを思い出した彼女が、振り返ってドアを開けた。 そんな何気ない仕草ですらモデルのような爽やかさを感じさせる彼女は、入学から1ヶ月にも満たない短期間で、クラスの中心的な地位を確立しつつあった。そんな彼女が何故か目立つタイプではない僕にも声をかけてくれていたのも、彼女が持つ姉御肌気質が故というか、面倒見のよさなんだろうな、と思っていた―――この頃は。 コンビニのドアをくぐると、心地よい冷気が僕の身体を覆った。汗が引くのを感じながら、僕は目的のアイスコーナーへと向かう。そんな僕の隣に自然に並んだ彼女は、「どうしたんだい? エロ本コーナーはそっちじゃないぞ」 という爆弾を投げつけてきた。「いやいや、エロ本を買いにきたわけじゃないから!」 脊髄反射的に叫ぶ僕。そう言えば公共の場所だったと後になって後悔した。そんな僕のツッコミを聞いた彼女は、「違うのかい!?」 と、さも意外そうに大きな瞳を更に見開いてのたまった(小声で)。「むしろなんでそう思ったのかこっちが訊きたいよ・・・」「健全な男子高校生の嗜みじゃないのかい?」「栗林さんは男子をそういう目で見てたの!?」「そうだとも!」「晴れやかなドヤ顔だなぁ! 改めて言うけど違うからね!?」「でもさ、『エロ本を買いにきたわけじゃない』ということはエロ本を買いにくることもある、という解釈もできると思うんだよ」「・・・」 しまった、揚げ足を取られた! ドヤ顔で!「そこでの黙秘は肯定を意味するぞ」「やめてくださいしんでしまいます」 しかし嬉しそうに人を弄る子だなぁと僕は半ば感心した。彼女は、見せつけるように右手の人差し指をくるくると回した。「はっはっはっ、完勝かな?」「・・・勘弁してよ、ほんとに」 アイスを買って暑さをしのぎ、癒されようとした僕の心は、彼女とのやり取りで更に深く抉られてしまっていた。何が悲しくて、休日にクラスメイトの女の子とエロ本について話しているんだろう。「はっはっ・・・で、君もアイスを買いにきたのかい?」 突然の話題転換。アイスを買いにきたって見当がついていたなら最初からそっちの話をしたかったかな、僕は!「え? あ、うん。そうだけど・・・って栗林さんも?」 彼女は「そうだよ」と言いながら、左手に提げていたビニール袋をぶんぶんと振り回した。透けて見えたのは、ハーゲンダッツのストロベリー。「おお、ブルジョアだ」「ハーゲンダッツごときで大げさな。コストとクオリティとを天秤にかけたら当然の選択だろう?」 ・・・その二択でクオリティを取るところにブルジョアジーを感じる貧乏男子高校生が貴女の目の前に1人。 一瞬、彼女がなんだか遠い国の住人のような錯覚に捉われる。だが、それは本当に一瞬。少なくとも、異国人はいきなりエロ本の話を振ってきたりはしない。多分。 僕は無言でお気に入りのガリガリ君を2つ握って会計を済ませた。長居するでもないので、コンビニ店員独特のイントネーションの「ありがとうございましたー」という声を背中に受けながら、僕たちはコンビニを後にした。 僕はコンビニを出て左に向かう。「じゃあ僕はこっちだから・・・」「まあ待ちたまえよ。私の家もこっちなんだ」 僕の後に続いて、彼女も同じく左に曲がった。「あれ、じゃあほんとのほんとに近いんだね、僕らの家」「そのようだね。本当に奇遇だよ」 彼女は悪戯っ子のような笑顔ではなく、柔らかい笑顔を浮かべながら言葉を続ける。「君が近くに住んでいると分かれば心強い。さっきも言ったけれど、私は最近ここに引っ越してきたばかりだから土地勘がないんだ。また、機会があれば案内して欲しいな」 女子にそんな提案されたことが初めてだった僕は、心臓の高鳴りを抑えられなかった。「・・・い、いいけど」「ありがと」 僕のどもりながらの返答に何がしかの満足を得たのか、彼女はステップを踏んだ。 その後、僕の家に辿り着くまでの5分ほど、この街の話をしたり、好きなアイスの討論会になったり、エロ本の話を蒸し返されたりしながら会話に花が咲いた。 家の前で「じゃあ、僕の家ここだから」と言うと、彼女も立ち止まってしげしげと僕の家を見回した。「一軒家だ」「そうだね」「ロボットに変形したりしないのかい?」「アニメの見すぎ」「かもね」 アニメ視るんだ。今日は栗林さんの新たな一面を見せられてばかりだ。「それじゃあ、君の家も分かったことだし、私は帰らせてもらうよ」「そう? 上がっていかない?」 何気なく僕が口にした言葉に、彼女の動きが止まった。僕も柄にもない言葉が口から自然と出てきたので、戸惑って絶句してしまった。先ほどまでの会話のキャッチボールが信じられないくらいの、妙な沈黙が僕たち2人の間に落ちてきた。その沈黙を投げ飛ばしたのは、彼女の方だった。「は、はっはっはっ。今日のところは遠慮しておくよ。君は買ったばかりのエロ本を楽しんでくれ」「いや、買ってないから! アイスだけ買うところ見てたでしょ!?」 変な雰囲気を変えてくれたのはありがたいけど、エロ本の話で話題転換したくはなかったよ! 僕のツッコミを入れている間にすっかりいつもの雰囲気を取り戻した彼女は、くすりと笑って手を振った。「はいはい。じゃあまた、学校で会おう」「・・・分かったよ。じゃあまたね」 そのまま振り返ってドアを開けようとしたした矢先。「なあ!」 彼女が男っぽく僕を呼び止めた。「・・・どうしたのさ?」「その・・・あの・・・」 彼女らしくない、先ほどの僕のようにどもりながら何かを言おうとする姿に、僕は怪訝な表情を浮かべることしかできなかった。だがそんな表情は、「明日、一緒に学校に行かないか?」 という彼女の言葉で吹き飛ばされた。「ええええ!?」「そ、そんなに驚くところじゃないだろう!? それとも・・・ダメかな?」 彼女の必死さとすがりつくような色が、表情に浮かんだ気がした。僕は息を飲んで大きく吐き出すと、「いいよ」と何とか応えた。その時に彼女が浮かべた笑顔は、いくつもも感情が混ざり合ったものだったと思う。/「その時に気づけよ! 私が君に気があったってさ!」「ご、ごめんなさい!」 でも、僕から言わせてもらえれば仕方ない。仲のよかった女の子に、思わせぶりな言動を取られ、「あれ、この子、僕に気があるんじゃないか?」と思っていざ告白してみたら・・・などという話はありがちだ。思春期の全男子を震え上がらせる話と言ってもいいだろう。 それ故に、内気な僕が彼女の真意を取り損ねたのも無理からぬ話だ・・・と言っているのだけれど、彼女は納得できないらしい。「まったく・・・君がどうしてそういう態度を取るのかまるで分からないよ」 ・・・なるほど、話の繋がりが見えてきた。「それで、僕が素直じゃないって?」「そうだとも」 彼女は三度も頷きながら肯定した。「君は私の何なんだい? どれ・・・恋人だろう?」「恋人だって明言してくれたことは嬉しいけど、その前に隠された2文字が不穏すぎる!」 2人の前に選択肢が与えられた時、どちらかと言えば主導権を握るのは彼女の方だから、彼女が優位に見えるのは違いないけど!「似たようなものだろう?」「栗林さんの中での恋人の定義に一抹の不安を覚えるよ・・・」「まぁ、それで損をしたことはないから安心してよ。さて・・・」 彼女が珍しく少しだけ真面目な表情をつくったので、僕もどきりとして見つめ返した。「でもね、不安になることなら私もある」「・・・何かな?」 彼女は目を伏せて語り始めた。「君は、私によく遠慮しているだろう? 正直、私はそういうのは嫌なんだ。あくまで、対等でいたいんだよ。だから、君が何をしたいのかはっきり言って欲しい・・・」 かつて見たすがるような表情を、僕はまた見てしまった。と言うより、僕が、させてしまった。同時に、彼女がこれだけ僕のことを想ってくれているのかということを知れて、不謹慎だけど嬉しかった。「・・・ごめん」「・・・謝らないでよ」「じゃあ・・・ありがとう」 それも何かおかしい、と言いつつ、彼女は少しだけ笑ってくれた。そんな彼女に、僕は言葉を投げかける。「でもさ」「何だい?」「時々だけど、栗林さんも僕に遠慮、してるよね?」 やはり見に覚えがあるのか、彼女は珍しく言葉を詰まらせた。「・・・気づいてた?」「まぁ、さすがに・・・」「そっか・・・」 私も修行不足だねぇと苦笑。寂しげな顔色の彼女に、僕は重ねて声をかける。「それじゃあ、約束しようか」「?」「これからは、お互い遠慮せずに、やりたいことはやりたいって言っていこうよ」 僕がそう言った瞬間、彼女の瞳の輝きが増した気がした。「・・・うん、そうしようか」「そうしよう」 2人だけの教室。僕と栗林さんの笑い声だけが響く。そうしているうちに、彼女はいつものペースを取り戻したのか、またあの悪戯っぽい笑顔を浮かべた。ああ、波がくるなと僕は思った。「それで、放課後の2人っきりの教室の中。君はどうしたいんだい?」 ほぼ予想通りの言葉。僕はとっさに思いついた反撃の言葉を投げかける。「・・・栗林さんは、どうしたいの?」 彼女は少しだけ頬を染め、次いで膨らませた。「・・・そういうことを、女に言わせるのかい?」 僕は、苦笑しながらこう言うしかなかった。「素直になりなよ」 僕は一歩、彼女の方へと足を踏み出した。了