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typhoon6103

typhoon6103

2011/12/20
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ハーリー・ラムの西ネパール横断記を憶測すると・・・。 

 パンディットのマニ・シンが1865年、カトマンズ=ポカラ=カリガンダキ=ジョムソム=ツァルカ=ティブリコット=シンガリドゥティ=インドのビトラガールへ横断、ナイン・シンとクマオンからネパールからチベットへの計画がナイン・シンのみ成功して、マニ・シンは失意の内にこのルートでインドへと戻った。逆のコースで1873年7月、クマオンのビトラガールからマハカリ川を渡り、ネパールのバイタディからセティ川チャインプールへ出て、タラコットからマルダディへ横断、シンジャからジュムラへと歩き、後はカイガオン、バランラ・ラを越へ、ティブリコット、ドゥネイ、タラコットからバルブン・コーラを東へ、テランから北上しツァルカ、トゥジェ・ラを経てカグベニ、ムスタンを北上してドンパ(タドゥム)から入蔵した。今回はボクのこれまでの総決算、バルブンを遡上してツァルカからカリガンダキへ、継はぎだけど、極西ネパールから今回は愉しんでみた。


ジュムラ空港ターミナルの前に新しくできたホテル・シェレスタ


薬師義美さんの日本ヒンズー・クシュ.カラコラム会議編『カラコルム:吉澤一郎古希記念文集』1973. の地図はハーリー・ラムの横断記録の Journal of the R.G.S. Vol.45,1875 からコピーされたもので、以前はボクには計画するにとって貴重な地図だった。このJ.R.G.S.の記述にはひとりの探検者の記録抜粋とだけしか書かれず、ハーリーラムの名前は出てこない。GJ.Vol.62,1923. とか Kenneth Mason“Abobe of Snow" には出てくる。

aa Hari Ram map.jpg

ab ハーリーラムの足跡.jpg

薬師義美『大ヒマラヤ探検史:インド測量局とその密偵たち』白水社。2006. に出てくる日本
語によるハーリーラムの横断足跡解説概念図、新ネパール地図地名や最近のネパール地
図では当時の地名が現在とはかなり異なっていて追跡は難しい。


2011年5月30日(月) ジュムラ滞在

b ホテル・カンジロバのロビー.jpg c ジュムラのキャンプ.jpg

空港の一本前、数十年前は空港前の畑だったところ、今はホテル・シェレスタの裏で、後日
やってきた神戸Xルカ〇ン登山隊の連中は3Fのベランダで、いつも朝食とチャを飲みながら
見下ろし『ビンボーニンめが!』という目で見るデスから『つい卑屈な人間に…』なってしまっ
たデス。 クスン 涙ぽろり 『バロ~め!いつかきっと仕返しを・・、いっぱい呑んでやっから・・・』

d ホテルの母屋.jpg e 屋根は平板トタン.jpg f 木型で叩き出して.jpg

ボクらのキャンプしてるホテル・カンジロバの裏庭は野菜畑があって、母屋の赤い屋根の2
階建ては階下はキッチン、ダイニングルーム、水洗トイレ、階上は宿泊ルーム、隣りがロビ
ーと東へ宿泊ルームが建造中、ダイニングだけ借りてました。入り口の門から西にジュムラ
の街が見えます。

g カンジロバホテルからジュム.jpg

少しズームインするとティラ川と畑、この道を毎日ダウンタウンへ通いました。

h ジュムラの町並み.jpg

その反対(東)に門があって、ホテルの駐車場になる広場で、最近では2009年夏にキャンプ
したところになりますねん。『M谷さぁ~ん、えらいきれいになってまっしゃろ』

k 2009キャンプした広場.jpg

   5月30日 日曜日のちょっと早いアサです。
i 朝のホテル広場.jpg DD5ヤツがモノクロ写真にやっとるからマネしようっっと。

l 夕方の空港裏山のアーミ基地.jpg その朝、空港の方から北西を見ました。

その山々をバックに1954年、ツゥィチ博士がこのときの調査報告『ネパールにおける二回
の学術調査の予察報告書』であり、旅行記『ネパール・マルラ(マッラ)王朝の発見』の口絵
写真である。ジュムラへこれから到着して・・・、村びとの姿は半世紀前なので少しは清潔な
派手なコスチュームになりました。村から街に変わったジュムラの様子を・・・これから写真を。

j Tuicc-Jumla.jpg

ムグ、ガムガディへの道、ダフェ・バンジャンの峠が右端Vの辺りです。

q 空港と管制塔を東から.jpg

空港にサイレンの音、ヒコーキの飛来サイン、早速近道をして出かけてみましたら、滑走路
の向うから、相変わらずタライ、鍋釜、バケツなんかを担いだ4組のおっちゃん。子どもたち
が冷やかし半分でついてきました。 『わぁ~い!わぁ~い!』 『カティ・パイサ』『・・・・』

m おバイ.jpg o ちょっと重い鍋釜.jpg
n 鍋カマや.jpg  p 空港と鍋やが行く.jpg

s 紫の花.jpg r 田のおまじない.jpg
     Salvia moorcroftiana
   シソ科アキギリ属の多年草        翌日から田植えが始まった。 

ヒマラヤの西部、パキスタンからネパール西部が原産、標高1500~2700メートルの開けた斜面や湿り気のある場所に生え、高さは50~90センチ、根生葉は大きく、銀緑色で絹毛に被われている。初夏に茎頂から大きな花序をだし、淡い藤色の唇形花を咲かせ、カシミールでは根を薬草として風邪や咳止めに利用。空港前水田に、明日田植えをするおまじないの十字がつくられてあった。


ヒンドゥ-の神.jpg

ラクシュミー Lakshmi  ガネーシャ Ganesha タ・タイチョー Typhoon












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Last updated  2011/12/21 10:55:14 AM
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