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フットボールファンは色々なレベルにおいてフットボールを楽しむことができる。 チームが好き、選手が好き、監督が好き、フットボールの存在自体が好き、自分でプレーするのが好き・・・ 他のスポーツ同様「こう楽しめとか、こうでなければならない」と言うものは一切ないが、 その中にフットボール戦術論者という種類のファンが少なからず存在しているのだ。 戦術論者とは何か? -------------------------------------------------------------------------------- 今日、フットボールの得手不得手に関わらずその戦術について語るものは多い。かくいう私ものその1人である。 その中でも戦術論者はやはり特別な存在だ。 戦術論者はフットボールを戦術を折り込んだ視点で捕らえようとする。 もちろん様々な段階があり、4-4-2も知らない者もいれば、監督顔負けの論理を持つものもいる。 大間違いな論理を唱える者もいれば、極めて的確な評論をする者もいる。 そういった人達への一般的なイメージはどうだろう? 「戦術ばかりにうるさくて本当に面白い生のフットボールを見ない」 「偉そうに言ってもただの素人だろ?現場のことなんてわかりはしない」 「戦術なんて関係ないよ、チームを応援するだけさ」 こういう意見が聞こえてきそうであるが・・・しかし全くその通りである。 ただ1つ、実際テレビのフットボールは大好きであるが、生のフットボールも見るというのが正直なところだろう。 しかしながら戦術論者達は最もコアなフットボールファンの中枢であると同時に、巣窟でもある。 ここに1歩も立ち入らずにフットボールマニア気取ることは、もはや出来ないと言っても過言ではないだろう。 ■素人が戦術について語ること -------------------------------------------------------------------------------- フットボールの素人、現場を知らない者が戦術について語ることに違和感を覚える人も多いだろう。 確かに戦術を語るとき、常にある種の惨めさのようなものがついてまわるのも確かである。 しかし私がこの種の批判を聞く時にいつも思うのは、次のようなことである。 昨日までただの高校生だった青年が、プロ契約した途端に戦術に関する造形が深まるようなことはないし、ましてや選手になったからといってクラブの中で戦術に関する集中講義があるわけではない。 プロになったからと言って周囲の環境が良くなっただけで、基本的には自分で学び取る以外に方法がない。 そういう意味ではプロとアマの差はそうないのではないだろうか?ということである。 つまり実践する能力は別にしてもこと戦術に関しては 一般的な選手とかなり良く勉強している素人(もちろん賢明な考えを持つ)では 言われるほどの大きな差はないと考えるのがむしろ自然ではないか。 実際の実践能力を前提としたプロ選手においては、個々の選手の戦術自体の理解度というのはそう高くない。 下手な玄人より、上手な素人のほうがうまく鍛えれば何とかなるかもと思うのが一般的。 これがリアルだったりする。 こう考えると「プロでさえあればすべてにおいて素人より上」と考えるのはやや安直である。 例を挙げるならば、Jリーグ歴代得点者に名前を連ねる元ヴェルディの武田選手などは、リフティングの回数は二桁行かないこともあるほどだ。 たしかに名波のように極めて実践技術と戦術理解度のバランスがよい選手がいる一方で、戦術の方には疑問符の付く選手がいるのも賢明なフットボールファンには既に周知の事実であろう。 そんなことから素人が戦術を語ることはそれほど無意味なことでないのではないかと思う。 むしろフットボールライターと言われる人達も本質的にはプロ経験が無いので当然扱いは素人である。 しかし逆に元プロ選手が素晴らしい書評が書けるというわけでもない。 そういったことが素人戦術論者達のかすかな希望であり、我々はそのことだけで十分な動機を得ることが出来る。 少なくともファン層の知識面での成熟と言う意味では大変な意味があるのは事実であろう。 ■戦術を自体の有意性について -------------------------------------------------------------------------------- 今日、4-4-2や3-5-2などのシステムやファーメーションと言われるもの、さらにカウンターなどの戦術・戦略といわれるものは日本ではあまりにも一般的ではない。 「戦術なんて関係ない」「システムなんて選手が流動的に動く現代フットボールでは無意味だ」 と言う意見をしばしば聞くことがある。 一面では確かにそうなのだが、現場の監督コーチが一番そういったことにこだわるのも事実である。 つまり現場の感覚からいけば関係ないわけないのだ。 おまけにシステム戦術は入りやすくて奥が深い。 一度システム戦術の魔力を知りその洗礼を受けるともう後戻りは出きない。 もはやそれ抜きにはフットボールを語ることは出来ないのである。 もちろんシステムや戦術自体は選手達のユニット単位でのプレーを引き出すための便宜的な定義に過ぎない。 しかし確かに戦術論にはあらがえない魅力的があるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 31, 2004 10:18:29 PM
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