投資と孤独
そう言えば、先日有吉ゼミナールで河合俊一が権利落ち日を狙って短期間で14万円儲けた、というテレビをやっていました。儲けた時の笑顔と来たらエロいことエロいこと・・・テレビなので多少の演出は承知の上ですが、株式投資によって儲ける行動というのはどこか「漁夫の利的」「楽して儲けたい」「せせこましい」「意地汚い」という世間一般のイメージを象徴している演出に見えました。株式投資はパチスロや競馬よりもギャンブル、と言ったのは証券会社に勤めている義姉でありますが、ギャンブル要素が強い点が株式投資の面白さであって、ギャンブルという言葉を聞くだけで拒否反応を示すひとは当然理解できないことなのであります。このようなヒトに対して、あなたが払っている年金の一部だって株式投資で運用されているんですよ、その運用益で将来お世話になるんですよ、と言ってもほとんど理解してもらえません。それはプロの仕事だから、という言葉に対して個人投資家の強みを説明しても聞く耳も持たないでしょう。株式投資で成功している個人投資家は、それなりの金融リテラシと経験を併せ持ち、日々相応の時間を株式投資のために費やしています。また、地合いは悪ければその努力は報われることはなく、多大な苦悩や株価下落による恐怖に苛まれます。さらに失敗をしては振り返り、反省点を改善して行動に移すというサイクルを繰り返すなどといった苦労のもとに成り立っていることに対して一定の理解を求めたい欲求は強くなります。こうした株式投資という行為に共有して語り合える仲間が身近に欲しいのは事実です。しかし、バリュー投資で成功した話をしても、チャートで大儲けした話を返されるなど投資スタンスの違いにストレスを感じることもあるでしょう。仮に投資手法が一致したとしても周囲の仲間から聞いた推奨銘柄について、ひねくれ者のワタシは素直に投資先として検討することも想像できません。また、株式投資の話をしたい衝動に駆られるときはそこそこ儲けた時が多く、ヒトの儲け話を聞かされる方もストレスを感じることがあるかもしれません。そもそも資産運用とは自分のために行うものであって、他人に自慢したり他人と競争すべきものではありません。資産運用は投資家自身の資質も重要ですが、運用資産の規模、期待リターン、目標値といった資産計画の側面や個々の生活スタイル、家族環境などに対して最適な方法である必要があります。投資家は孤独でなければならないとよく言います。しかし、資産運用は本来投資家個人で打ち込むべきものであって他人に公言したり推奨したり、喜びや悲しみの共有を求める代物ではありません。よって、個人投資家はそもそも周囲から「自立」した存在でなければならず、決して「孤独」という表現は適切ではないと思うのです。株式投資に関するおしゃべりはブログやツイッターなどのSNSで注力するものとして、まずはストレスなく無理のない自分にあった投資手法を、「自立」した投資家として、一日でも長く継続できたら、と思う今日この頃であります。