テーマ:ビーバップ ハイヒール(6)
カテゴリ:テレビ番組
ビーバップ ハイヒール 2009年4月23日放送分レビュー
撮り溜めしすぎて、ついにHDDレコーダーがいっぱいになりそうなので、 徐々にアップしていきます。 今日のテーマは 知っているようで全然知らない大阪の話です。 今週はブラックマヨネーズさんの週ですね。 ゲストは夏川純さんです。 大阪には島のつく地名が多いです。 福島・堂島・姫島・中之島・都島・加島 他にも御幣島とかいろいろ島の着く地名がありますよね。 全然島ではないのに、島の地名がついている。 ふしぎに思ったことはないでしょうか? 7000年前、大阪は淀川河口に広がる島がいっぱいありました。 難波八十島(ナニワヤソシマ)と呼ばれた干潟だったそうです。 こんな感じで島があったそうですよー。 それにしても、7000年前って紀元前ですよね…。 その頃には名前なんてなかったはずなのに、・・・( ̄  ̄;) うーん あとからつけたのかな? ナミハヤ→浪速 波が早いから付けられた名前だそうです。 今日のカシコブレーンさんは奈良大学文学部地理学科准教授 三木理史先生です。 まずは縄文時代の大阪です。 大阪はほとんど海だったんですねー。 右側が河内湖といわれていたみたいです。 今の河内という地名はこれの名残ですね。 500年前で湿地帯になっています。 大阪は川が運んだ砂や泥でできていました。 室町時代で湿地帯だった大阪をちゃんとした形にしたのは誰なのか。 当然皆さんは大阪=太閤さん(秀吉)というイメージが強いですよね。 ところが大阪に最初に目をつけたのは織田信長だそうです。 信長は安土城を作ったのですが、信長の野望は世界進出をすることでした。 信長は日本人で始めて地球が丸いという事を知った人でもあり、 南蛮渡来のポルトガル人との交流も盛んでした。 信長はポルトガルがどうやって大きく強い国になったのかという事を宣教師からきいたところ 宣教師は、町を港に作ることを教えました。 ポルトガルは首都リスボン、港が大西洋に面しています。 ポルトガルが強い国になったのは港があったから、日本もそういう場所があれば世界に肩を並べる事が出来る。 その頃の信長は安土にいたため、港がありませんでした。当然京都も港がありません。 そこで、信長は大阪に目をつけたという事です。 日本のリスボンそれが大阪だったそうです。 信長の部下が書いた信長公記ではこのように書かれているそうです。 そもそも大阪は日本一の場所である。 奈良・堺・京都に程よく近く、船の通行が便利で高麗や南蛮の船も海上に出入りできる。 更に日本中の人々が集まって商売が出来る場所だ。 ただ、その時の大阪は湿地帯であり、どの大名も手を出せない場所でした。 そこを信長は未来の大都市を目指して開発を始めました。 天正8年(1580) 初代大阪城が完成します。 川に囲まれているので責めにくい城でした。 でもその2年後に信長は本能寺の変で亡くなりました。 1583年、秀吉が信長の後をついで大阪城の増築をしました。 信長の夢が秀吉によって実現する事になったのです。 今の大阪があるのも信長が先見の明があった事と、淀川があったからだそうです。 江戸時代に大阪は商業都市として栄え、堀を掘りまくって海運でものをはこびまくっていました。 そのために、安治川を人手で掘り、掘った土で大阪人なら誰でも知っているものができました。 ここで問題なのですが、その掘った土でできたものは何でしょう? 正解は天保山でした♪ ブラマヨの吉田さんがいきなり答えてしまってドン引きでした*o_ _)oバタッ 天保山は現在標高4.5mとして日本一低い山になっています。 ここからは淀川を知れば大阪が分かるということで淀川の話があります。 淀川は過去に2度大改造を行われています。 まずは改造前です。 次に下の方にできているのが大和川です。 これは人の手によって作られた川なんですね。 245万人今のお金で143億円をつぎ込んでたった7ヶ月の期間で作った川です。 最後にできたのが新淀川、現在の淀川です。 今から100年前に大阪の町を水害から守るため大規模なお金と人を使って作られた川です。 淀川は、どんどん土がたまってしまい水深40cmとかなりの泥がたまってしまい、 蒸気船を通すために毎日泥をかいていたそうです。 大阪はたびたび洪水に見舞われており、そのなかでも明治18年に大阪大洪水によって 枚方から大阪市までが水浸しになってしまいました。 淀川堤防212箇所が破損、27万人が被災し、天満橋などの30以上の橋が流されました。 その時に立ち上がったのが大橋房太郎さんです。 法律家を目指す大学生だったのですが、明治政府に陳情し淀川の工事をお願いしに行きました。 ただの学生ではやっぱり話を聞いてもらえませんでした。 そのため、結婚し、村長になり市会議員になり、その間もずーーと陳情をしつづけました。 一方明治政府も頭を抱えており、どうやって工事をすればいいのかがワカリマセンでした。 その時にアドバイスをくれたのがオランダ人土木建築技師デレーケさんです。 デレーケさんが淀川を真っ直ぐにする案を出したそうです。 この案を大橋さんが明治政府に持って行き11年後淀川改修工事が国家事業となりました。 せっかく工事が出来るようになったのですが、当然工事をすることにより立ち退きをしなければならない人が出てきます。 3000人の反対運動が起こりました。 それでも、この大橋さんは住民一人ひとりをたずね説得をしました。 時には脅され、命の危険もありましたが熱意が通じプロジェクトが動き始めました。 新淀川は明治43年に完成しました。 淀川は河川の両岸に障害物を置く事で中央の水流を早くして泥がたまらないようにしています。 近代河川工事の最先端が淀川には取り込まれているそうです♪ ここからはお嬢様の料理を頂きますのコーナーです。 たむけんさんのコーナです。 お嬢様のお部屋を拝見という事にしておいて褒めちぎり、手料理をご馳走してもらおうという企画です。 セレブな人は高級ワインで豚肉を潰すそうです。 セレブな人の料理は豚ひれ肉のチーズハサミ焼きです。 セレブな人の料理の食感はぬるっとしているそうです。 パン粉の食感はなくなり、ハンペンを食べているような感じだそうです*o_ _)oバタッ このあとに大阪川の環状線ツアーがあるのですが、 映像でないとわからない事が多いので割愛します。 という事で今週の紹介は終了です。 徐々にアップしていかないとHDDがパンクしてしまいますよー*o_ _)oバタッ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.23 23:27:01
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