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カテゴリ:本、読書
映画『銀河鉄道の父』の中で妹トシが亡くなる場面。
宮沢賢治の詩集『春と修羅』の中に収められた「無声慟哭」のいくつかの詩はその臨終の様子を描いていて痛切だ。映画でも、妹トシに乞われて庭の雪を取りに行く場面がある。 一緒に行った方が、なんで松の枝をトシに持って行ったのかと車の中で疑問を呈した。 「永訣の朝」の詩はこんなふうに始まる。 けふのうちに とほくへいつてしまうわたくしのいもうとよ みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゆとてちてけんじゃ) 最後はこうだ。 おまへがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる どうかこれが天上のアイスクリームになつて おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさひはひをかけてねがふ 続いて「松の針」。松の枝が意味するものが伝わって来る。 さつきのみぞれをとつてきた あのきれいな松のえだだよ おお おまへはまるでとびつくやうに そのみどりの葉にあつい頬をあてる そんな植物性の青い針のなかに はげしく頬を刺させることは どんなにわたくしたちをおどろかすことか そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ これらの詩を映画の中でも使っている。 難しい難解な詩もあるが、これはよく分かる。 トシが亡くなった時、大正11年(1922年)賢治26歳。トシ24歳。 賢治自身も病床生活が多くなり、昭和8年(1933年)死去。賢治37歳。 映画では臨終の場で父正次郎が「雨ニモマケズ」を叫ぶように唱える。 詩もだけでなく「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」も読み返したくなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
宮沢賢治で最初に思い出されるのは『クラムボン』
覚えてますか? そう全ては先生のせいです(笑) 確かがぷかぷ浮ぶんでしたっけ? 『あんどろめだ』にも沢山掲載されてましたよね〜。 あれって記憶では教科書に載ってたんじゃなかったですよね? あの頃に勉強した事って殆ど覚えてないのに、キョーレツに覚えてますわ〜(笑) しかも正体を考えさせられるだけで結局クラムボンが何だったのかは証されないままで・・ 当時モヤモヤした気持ちだったの覚えてます。 で、結局あれって何だったんですかね? (2023.06.21 00:53:58)
懐かしいなあ。
『やまなし』だったなあ。 丹後に帰ってからも何回か授業でやったなあ。 どこかで読んだけど、妹トシが亡くなった翌年書いた童話で、死と再生を描いた話だと誰かが言ってた。 「クラムボンはわらったよ」 「クラムボンはかぷかぷわらったよ」 かにの子どもらの会話だけど、クラムボンってほんと何だろうね。 (2023.06.21 21:52:23)
僕に言われても・・・
でもまあ「泡」だとか「小さな生き物」だとか「光」だとか、かにの子どもらが世の中に出て間もない頃かもしれないし、それぞれが想像したものでいいんじゃない? でも宮沢賢治の文章というか表現というか、すごいとつくづく思う。 (2023.06.22 17:59:52) |