個人的に実感することなのだけれど、物欲(あのブランドのアレが欲しい、、車はアレが欲しい、、、などなど)が高まっているときって、即物的な世界にはまり込んでいるからなのか、対人的な謝恩の気持ちが薄れているような気がする。目的意識がどの方向に向かっているのか、たまに立ち返ってみると、モノに意識が向かっているときは、得てして、博愛精神が薄れている感覚で、直線距離で目標を達成しようとしている気がする。そう思うと、実証された科学の枠組みって、西洋の唯物論の発想(神様が一人しか居ないってすることも、仏教のように、神様仏様(万物の神様と自分の先祖を大切にする)と異なるんだな、どっちが正しいというのではなく、私には後者のほうが身近なのかも、と振り返ったりもする今日この頃。)って、唯我独尊になりがちなのではと危惧することもあるので(西洋の城壁って、自然との融和をもとにした日本の住居と異なって、排他的な感じでしょ)、、、東洋的な視野を大切にしたいなと思うことがある。
でもスピリチュアルな世界についてのスタディって、英国が結構栄えてたりするわけで、そのあたりがちょっぴり謎だったりもする。
自分が今、生かされているんだという気持ち。たしか聖書にもそんな言葉があった気がする、、、そんな感覚を忘れず、個性が自分と違いすぎて(たまに似すぎて嫌な人もいるけど笑)ぶつかる相手がでてきたときには、そんな人物とであわせてくれたことを、天に感謝できるようになりたいなと思う。なかなか、そうはいかないけどね・・・・そこを踏ん張って、プラスの関係に持っていければいいなと、理想論で終わりです。
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