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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4249&media_id=2
「自分ひとりで生きているわけではないこと。」行き詰ったときは、静かに自分を客観視してみるのって大切なことだと思った。 表題のリンクは、今朝から流れている悲惨なニュース「友達の母親が、幼稚園児2人を殺傷した事件」の日記リンクです。 生まれたてのときは、自分の生命維持のために、自己主張しか出来ない。「僕が僕が」「私が私が」を中心に、だんだん言葉も出てくるわけで重要なステップではあるけれど、そののちには「あなたが」「彼が」「彼女が」の二人称に発展して気持ちを汲み取る技術、それをもって社会性が身についた、ってことになるのだと思う。その喜びを分かち合う段階に入り「私たちが」という社会行動が身につくのだと思っている。 だけど、いまだに第一段階でおとなになってしまう人間が世間には多いのだ、(ひょっとしたら、精神を病んでしまってそうなっているのかも、、とも思うけれど、、)ということを、悲惨な事件を通して実感させられることがある。 弱肉強食、とはいうけれど。 昔の武士精神では、他人を踏みつけてまで自分を生かすという意味で、この言葉を使ったわけではないと思う。 いま、子どもたちの道徳観をどうしようかという議論がなされていて、道徳の授業の時間を長くしたりとか、カウンセリングを取り入れたりとかってよく聞く話だ。でもその前に、何の「道徳教育」もされてこなかった、いまの若いオトナたちに、そういったことを自主的に学ばせる必要があるのではないか、と思う。勿論、机上の空論にならないように、実習的なものがあればと思う。 リサイクルを大切にしたり、教育費用や税金問題を積極的に国民に還元する国々が、ヨーロッパ諸国で増えてきている。(米国はそういった意味ではかなり後れた国だと思ってる)。。昔ながらの、形はどういったものであれ、社会を創り出してきた個々のあり方・精神論を大切にしていきたいと思う。もちろん、自分の子供には、なんだかんだ知育を詰め込む前提にこのような人間性の素地を整えてあげておきたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月17日 13時20分45秒
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