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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2006年09月15日
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すっかり秋めいてきた昨今、吹く風も
ひんやり肌寒いくらいだ。
ツクツクボーシがせわしなく鳴いている。
過ぎゆく夏を惜しむかのように。
今しかないとばかりに、渾身の叫びが響く。

真夏に聴くミンミンゼミやアブラゼミの鳴き声は
いかにも本領発揮という感じで、暑さにもだえる
人間たちに「夏なんだから仕方ないでしょ」という
妙な説得力さえ感じさせるパワーがあるが
お盆をすぎて鳴き始めるツクツクボーシには
いつも哀愁と同情の気持ちをもって、見つめてしまう。

この夏、昆虫好きの息子をじゅうぶんにわくわく
させてくれた蝉たち。
土のなかで気の遠くなるような長い年月をすごし、
やっとの思いで地中に出てきて、力の限りに夏を生きる。

山里に限らず、空気の汚れた都会の街路樹や
直射日光に焼けついたコンクリートビルの壁面でさえ
己の存在感を精一杯に発揮する。
とはいえ、その命はせいぜい数日間。
夏の間中、けっして絶えることのないその声は
次から次に、殻を抜け出してくる仲間との連携プレーの
なせる技。わずか数日で役目をまっとうした亡骸が
あちらこちらに散在する様も、また夏の風景のひとつだ。

そうしてぱったりと姿を消した夏の蝉群の
最後の砦が、 ツクツクボーシ。
あとは任せたという伝言をしょって、いざ。

こどもの頃から、その鳴き方が無性に気になった。
大学生になってはじめて、飲みの席で友達に
ツクツクボーシの鳴き声の法則について、とうとうと
語ったことがある。大受けだった。

鳴き始めは、「…ボーシ!」といきなりである。
だんだんとリズムをつかんできて、音響もよくなり
「ツクツク ボーシ ツクツク ボーシ…」と
調子よく、平均して15~20回くらい繰り返すだろうか。

テンポがだんだんと早くなり、ちょっと疲れが見え
だんだんと鳴き声が雑になる瞬間がある。
「ツクツクボーシ ツクボーシ ツクボ ツクジ…」
その瞬間、それを合図に、次からは
「ツクジーヨ ツクジーヨ」と、まったく別のリズムに
変わるのだ。これが実に愉快である。

子どもの頃から、この「ツクジーヨ」に変わる瞬間について
注目していた私。しかし、最初から一緒にうたいはじめても
なかなかタイミングよく、同時に「ツクジーヨ」に入れない。
夏の終わりを惜しむ蝉の気持ちに近づくのは至難の業なのである。

「ツクジーヨ」はだいたい平均で4,5回程度続く。
そうして最後に「ジー…」と
まるでフェイドアウトで終わっていく音楽のように
静かに完結する。素晴らしい!
ツクツクボーシ交響曲に、私は敬意を表して聞き惚れる。

ちなみに私の母はヒグラシの鳴き声がどうにも苦手だそうだ。
深い山に面した私の実家で、晩夏の夕暮れどきに響く
あの、いかにも寂しげな、何かに取り残されたような
悲痛なつぶやきにも似た鳴き声はたしかに不気味である。

夏の終わり。ちょっと人恋しいような寂しい気分ではある。
心を正して、背筋をのばして、次の季節にのぞみたい。











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最終更新日  2006年09月15日 21時38分42秒
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