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これは最近のことではないし、日記とは違うのだけど、日記に書いたことに関連して思い出したので。
前にも書いたように、私は日曜日に近くの老人ホームで開かれる礼拝(カトリックのミサとプロテスタントの礼拝、両方ある)の手伝いをしている。礼拝の手伝いといっても初めは礼拝に行く人たちの車椅子をおすという仕事だけだった。そのうち私がけっこう毎週ちゃんと来る、あてになるボランティアで、しかもそこそこ真面目なカトリック信徒だということがカトリックチャプレンに知れ、ミサでご聖体をくばるのを手伝わないかと言われた。 ふつうのカトリック教会では信徒が司祭のまえに行列をつくって前に進みでて、ひとりずつご聖体をいただくのだが、ほとんど全員が車椅子にのっている老人ホームでは、司祭が車椅子の間をぬって歩き回り、ご聖体を配るのだ。当然時間がかかり、アシスタントがほしい。 今は違うのだろうが、私が日本にいたころは、シスターとか神学生とかでなく一般信徒がご聖体をくばるのはまだ一般的ではなかったので(聖体奉仕者、という言葉は聞いたことがあったが)、私はとてもびびった。カトリックでは、ミサで聖別されたパンはもはや象徴ではなくキリストの体そのものととらえているので、自分がそれを人様に配るなど、あまりに恐れ多いと思った。しかし、いろんな人に励まされ、なだめすかされて、結局私はこの仕事を手伝うようになり、今に至るまでほとんど毎週続けている。この仕事をいただいたことで自分がうけた恵みは本当に多い。 ある日曜日、礼拝がおわってお年寄りたちを部屋にもどすために車椅子をおしていた時、ひとりのスタッフが、プロテスタントチャプレンのS先生のところにやってきて、「いま、死にかかっている入居者がひとりいます。カトリックなので、神父様を呼んでほしいとのことです。」と言った。その日は、いつもの神父様が別の用事で来れなくて、代わりに臨時の神父様が来てミサをあげてくださったのだが、その時にはもう帰っていた。今から手当りしだいにカトリック教会に電話して来れそうな神父様を呼んでも、きっと間に合わない、と考えたS先生は、自分がその入居者をみとることにした。そして私に、「veronicaちゃん、ご聖体もって、いっしょに来てちょうだい。」と言った。S先生は神学校で普通の牧師としての訓練をうけただけでなく、病院や老人ホームのチャプレンとしての訓練もうけていたので、カトリック信徒の最期をみとる時に、どんな祈りをするか、どんな秘跡をさずけるか、よく知っていた。私の言えないカトリックの「臨終の祈り」も言えた。でも、viaticum(はなむけ)としての最後の糧、ご聖体をさずけるのは、プロテスタントのS先生にはできなく、素人で平信徒でもカトリック教会から委任されている私にはできることだった。 S先生はいつも私をかわいがってくれたし、私はS先生から多くを学んだ。S先生のことが大好きだった。でもS先生の信仰と自分の信仰が少し違うのが、ちょっと残念な気がしていた。ところがこの時から私は、違っているからS先生を助けることができる、ってこともあるんだなあ、と思うようになった。これはうれしい気づきだった。それから半年ほどでS先生は引退してしまったけど。元気かな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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