アメリカで「命の尊厳」うんぬんの話になると、必ず人工妊娠中絶是非のほうに話題が流れて行ってしまう。そしてpro-lifeかpro-choiceの二者択一になってしまう。他にも考えるべきことはあるだろうに。うんざりだ。しかしpro-lifeの人たちに言わせると、人工妊娠中絶は罪のない、最も弱い存在の命を消すから絶対けしからん、死刑なんかよりずっと深刻な問題だ、ということになる。
それはそうかも知らん。しかし、たしかに考えなしに妊娠するようなことをしたあげくに中絶で収拾をつけようとする人間がいる一方、やむにやまれぬ事情で中絶を選ぼうとする女性もいるわけだ。自分の生命(必ずしも生物学的な意味ばかりではないが)がおびやかされている女性「だけ」に負担をかけるのはどうかと思う。
そこで。胎児を殺さなければ人工妊娠中絶してもいいんではないか?
これだけ臓器移植やら生命維持装置やら体外受精やらの技術が発達した現代。その気になったら、胎児を傷つけずにとりだし、自力で安全に生きられるようになるまで「産みの母親」のおなかのなかで育てるとか、機械で生命維持、成長補助をする技術が開発できるのではないのだろうか。乳幼児の養子やら他人の受精卵をもらっての出産がありなら、胎児移植もありでしょう。胎児が、生き延びるために「宿主」という臓器を得る、という見方もできる。アメリカは、pro-lifeとpro-choiceの人たち両方の税金を使って、この研究を推進すればいいんだ。オバマに教えちゃろかな。
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