教会でも職場でも、いろんな人といっしょに仕事をすると、当然「だれかがしなくちゃならないけどしんどい、めんどくさいこと」がでてきて、にらみ合い(笑)になるときがある。かっこつけて「あーだ、こーだ、やってもいいけど○○さんはできないのか」、とかいつまでも言ってる人がいると、「やるのか、やらないのか、どっちなんだ?!こちとら時間がないんだ!」と言いたくなる。一方で、どう考えてもその人には悪くて頼めない(すでにいっぱい仕事をかかえているから)と思っていたのに、何にも言わず「いいよ」「もう解決したよ」という人もいる。
私はどっちかというと、正直にやるかやらないか即座に返事するほうです。めんどくさいなと思っても、なされるべきだと思ったら、そして自分ができそうなら、がんばってひきうけます。私が断ったら、できないか全く必要感じてないってことです。
なんでこんなこと書いてるかというと、葬られたイエスがどういうふうに蘇ったか、だれも見ていなかったな、なんにも説明なかったな、と思ったからです。どういうふうにかはどうでもいいんだよな、ただ、蘇ったってことが重要なんだよな、と思ったからです。(どうだ、この飛躍したロジック、ぶっとんでくれたまへ。)
何か必要なことをする時、どんなに大変か、めんどくさいか、本来だれかすべきかはあんあまり重要じゃない。必要なことは、する。文句いわずになされるべきことをすることが平和をもたらすんだって、そういえばふだんから教会は教えてるよ。文句いわずに。
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