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ご降誕おめでとうございます。
おかげさまで、私はかなりハッピーなクリスマスをむかえました。 今年は25日が土曜日なので、前日の24日がふりかえ休日になり、自動的に3連休になりました。で、いつも休日だからといってフルに休んでるわけじゃないけど、今年は先月の感謝祭、世間は4連休なのに自分の用事以外のことでフルに働いたので、クリスマス3連休をとることにしました。 24日、ちょっと遅めに起きて、コーヒーのんで洗濯しながら料理して(料理すると台所がよごれるので、いつも休日は料理のあとに掃除するのだが、そうすると掃除が時間切れになることが多い)、そうだ、明るいうちに車を掃除しよう、と思いついて車を洗いに行って帰ってきたら、もう教会に行く支度をする時間になってしまった。だって、今年はこどものミサにでるんだもんね。 ミサのまえ、子どもたちのミニコンサートをして、私は解放された。続いてミサに参加しようと思ったけど、もう教会は満席。大きい子どもたちのパフォーマンスがミサ中にあるので、その子たちの専用席に余裕があるから座っていいよ、って校長に言われたけど、まだその席にはだれもいないし、立っているひとがたくさんいるのにスタスタ歩いていって座る心臓がないよ、、、、と思っていると、私のクラスのAくんのお母さんが、「少しつめるから、いっしょに座らない?」って言ってくれた。よかった! 6時すぎにミサ終了、やり残しの掃除を今日も続けております。だいぶきれいになったけど、まだ明日もだな。 掃除する時に、机とかテーブルにつんであったものを読んでるんですよ。心おきなく捨てられるように。それで時間がかかる。でもそれで、クレジットカード会社のディスカウントが今月末までだと気づいて急遽自分へのクリスマスプレゼントを買ったり、ちょっと心の栄養をとったりできてるわけですな。 9月からつんであった、教会学校教師用雑誌。教案として、I-am-with-you-always braceletというのがあった。マタイ福音書の最後のことば、「私はつねにあなたがたと共にいる。」がきざまれたシルバーやらビーズのブレスレットって、アメリカじゃけっこう一般的な商品なんですが、毛糸で手作りする、という教案。材料は、5色の毛糸、シルバーのワイヤー、十字架かハート。まず、聖書の箇所を読み、どんな時にイエスさまがそばにいてくれないと感じたか、話してもらう。それから、ブレスレットつくりにかかる。5色の毛糸、赤は怒り、黒は恐れまたは喪失、緑は成長または命、黄色は喜びと幸福、白は信仰、青は平和をあらわす。シルバーのワイヤーはイエス。この6本を3つにわけて、三つ編みにし、ワイヤーを利用して端を束ね、十字架かハートをつけて完成。できあがったブレスレットのどこにでもシルバーが見えるかどうか、生徒に問う。もちろん、答えはno。でも、いろいろな色にかくされて見えないところでも、いつもシルバーはそこにある。そのように、私達が恐れや怒りを持って、イエスの存在を感じられないときにも、イエスはいつもともにいてくださる。というのがレッスン。 それで、ちょっとへこんだ。どんな時にイエスさまがそばにいてくれないと感じたか聞かれたら、私は答えられないと思う。それは、いつも主の臨在を感じているからではない。すごくうれしい時以外には、もともとイエスさまがそばにいてくれるなんて感じてないから。それでも、「特別の時にも、普通の時にも、あなたが感じてる感じてないにかかわらず、イエスさまはいつも共にいてくださるよ。」と教え込まれてきたから信じるけど。まあ私の信仰なんてそんな程度だ。 「神はいない」という言葉は、せつに求めるものの叫びなんだなぁ。、、、って、そういえば、同じことを○十年まえに高校の倫社(歳ばれ)で習ったぞ。「神は死んだ」っていうのは、もともと神を信じてなきゃ言い得ないって。まったくだ。 これが、今年の受洗記念日の思いでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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