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カテゴリ:政治・社会・環境
皆さん、こんばんは。 現在ボストンで奮闘している親友S君と、「なぜアメリカ人の目は輝いて見えるのか」をテーマにEmailでディベートしています。S君に、「日本人は何かに束縛されて、人生を開拓する自由を失っている状態ではないか?」との指摘がありました。アメリカと日本の歴史的背景からみた、私なりの考察をご紹介いたします。 (ご意見・ご批判・ご指摘等あれば、コメントいただけますでしょうか?管理人は泣いて喜びます。) (注:このテーマは、「日本人よりアメリカ人のほうが目が輝いているか」ということではありません。当然のことながら、日本人でも輝いている人は、いっぱいいるのです。問題提議として「社会をなにもしらない大学時代の私(8.24日記)が、なぜアメリカ人をみて目が輝いて見えたのか」ということです) ■アメリカの発展した理由(自由) 1776年、トマス・ジェファソンはアメリカ独立宣言のなかで、「生命、自由、幸福の追求」 は譲ることのできない権利であると主張した。 同じ年にアダム・スミスが発表した「国富論」で、自由資本主義社会の思想が生まれ、どうすれば幸福を追求できるかを教えてくれた。 アメリカ史の多くの部分は、ジェファソンとスミスの思想を 発展してきたといえる。 ヨーロッパからアメリカに渡った移民者は、与えられた「自由」、 「幸福の追求」の権利のなかで、自ら自由を勝ち取った。 まさしく<幸福>を勝ち取るうえで、 <物質的豊かさ>をもたらしアメリカは発展した。 ■日本の自由はいつからか? 明治維新後1889年に発布された大日本国憲法で、初めて国民に基本的人権が与えられた。 士農工商を続けてきた日本で 近代思想の憲法 ができたのは歴史的であった。 しかし、天皇を利用し次第に軍事国家への道を進んだ日本は第2次世界大戦で完全に「自由」を 奪われてしまった。アメリカに戦争で負け、本格的にアメリカの思想が入ったのは、大戦後の1945年 と考えてもよいのではないか? と考えると、日本の自由思想の歴史は浅い。 しかし、アメリカのように「幸福の追求」の権利という思想はあったのだろうか? 戦後、めちゃくちゃにやられた日本は、復興を合言葉に日本は発展した。 貧しい国から豊かな国へ、 日本人はがむしゃらに働いた。 そんな中で、日本人に「<幸福>を勝ち取る上で<物質的豊かさ>をもたらす」という思想が あったのか、疑問がある。
この違いが本当の意味の自由 <自分で自分の人生を開拓する自由> を日本から奪ってしまったのではないだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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