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カテゴリ:騒
約1ヶ月前のこと
知人の御主人が、傷害の罪で警察に訴えられてしまった 話によると、御主人曰く、仕事の取引業者(中年女性)があまりにも無理難題を吹っかけてくるので、つい感情が高ぶってしまい、相手の腕を掴んで詰め寄ったのだとか 怒りは治まらなかったが、その場は堪えたという ところが、後日警察署から呼び出しを受けることとなる 取引業者の中年女性が、傷害で訴えたのだ その女性は、 「腕を掴まれ、引き摺り回された」 と警察で証言し、怪我をしたということで、全治3週間の診断書も提出しているという 身に覚えのない話に、知人の御主人は戸惑いを隠せないながらも、警察に事情をありのまま話したそう 今回の件に関していえば、そのやりとりの現場を直接見ていた人は誰もいない つまりは当事者同士の証言しかないのだ ところが、両者の話は全く食い違っている 警察は、関係者に事情を聞きまわり、訴え出た中年女性が、頻繁に取引業者とトラブルを起こしていることが判明する けれども、だからといって、その情報がこちら側に有利に働くとは限らない この傷害事件、一体どのような顛末を迎えるのだろうか… そして今日、知人から示談が成立したという話を伺った 15万円を相手側に支払うことで解決したという その話を聞いて、他人事ながらも無情な結果に驚きは隠せなかった 自分は話を聞いているだけなので、到底真実を知る由はない 知人の御主人という贔屓目もあり、御主人が言っている方が正しいのでは?という偏った見方をしているからこそ、この結果に納得がいっていないのかもしれない けれども、公正な立場に立って見た場合どうだろうか? 食い違う両者の言い分 ということは、どちらかが嘘を述べているということになる 一体どうやってその嘘を見抜き、そのなかから真実を見つけることができるのだろうか それはかなり難しいといえよう 自分は今年、走行中に当て逃げ事故に巻き込まれた 車のナンバーや運送会社を覚えていたことから、該当車輌とドライバーはすぐに見つかった しかし、相手は事故が起きたことを一切認めようとしない 真っ向から対立したわけだが、結局は、相手車輌の車体にこちらの車輌のごく微量の塗料片が付着していたことから、相手の過失は決定的なものとなった 修理費は全額相手の負担になったものの、最後の最後まで相手は自分の否を認めようとはしなかった もし、これが塗料片が付着していなかったら、相手の過失を認めさせることは難しかっただろう 自分がいくら真実を語っていても、それを納得させる判断材料が無いと、真実も真実でなくなるということを思い知らされた出来事だった 今回も、第三者などの証言があれば話は変わったかもしれないが、如何せん当事者同士のみだけなので、真相を語ろうにも、それを裏付けることができない その結果、無駄な争いをしこじれ、万が一にも傷害罪の罪で前科がつくよりも、示談に持ち込んだ方がいいということで、今回の顛末を迎えた もし無罪潔白であるのなら、当人にしてみれば、この結末は到底納得いかないであろう 運が悪かったとしかいいようがない けれども、相手の腕を掴んだ事は紛れも無い事実であり、そのような行為に至らなければ争いに巻き込まれることもなかったわけで、その点では本人も反省しているとのこと 真実って、一体なんなんだろう 今回の件で言えば、結局有耶無耶になってしまったが、本当の真実は自分だけが知っているはず たとえ無情な審判が下ったとしても、自分に疚しいことがないのであれば、自分に誇りを持ち、胸を張って生きていくしかない きっと、すべてはお天道様が見ていてくれているはずである 【私は不幸にも知っている。時には嘘による外は語られぬ真実もあることを】 (作家・芥川龍之介の言葉) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月03日 16時58分48秒
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