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若さんのつれづれ日記

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2003年08月23日
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 市民フォーラム現代人(イマジン)恒例の研修旅行に夫婦で参加した。今年は待望の越中八尾のおわら風の盆である。祭りの本番は毎年9月1日(二百十日)に行われる。ところが大変な観光客で、踊りもろくに見られないというので、8月21日の前夜祭を見ることになった。それでも大変な人出で。敢えて本番を避けたのは正解であった。おわら節の起源は元禄年間で、昭和4年に東京三越で開催された富山県物産展における改良をきっかけに発展した。昭和になって、画家小杉放庵と舞踊家若柳吉三郎の手によって今のスタイルが確率したという。八尾という古き寺町の町民文化の中で、伝統として継承され、更に芸術家によって磨きがかかっていったのである。
 ところで、わが郷土の「伊那節」も、元唄とされる「おんたけ」は奈良平安の時代から有ったのだが、元禄9年の権兵衛峠開削を契機に伊那地方に定着。明治になって長野県物産展で初めて「伊那節」として歌われ、それを機に発展した。その後、大正になって、花柳宗家によって新たに振り付けられたものが今の踊りである。
 さて、両者を比較して伊那節にないもの不足することをいくつか感じる。一つは胡弓の伴奏が実に哀愁を帯びていて、祭り全体の雰囲気を醸している点だ。(現在の伊那節は単調な小太鼓の下打ちと三味線のみで「華」がない。)もう一つは、踊りの振り付けが男は凛々しく、女は艶っぽくできていている点だ。特に、手先を実に美しく見せて踊る。加えて「編み笠」の効果だ。男女とも顔が見えない分不思議な「晴れ」効果で見る者の興味をそそる。(郡上踊りが誰でも参加できるのと対照的だ)
 それから大きな違いがもう一つあった。伊那節が、与地や富県など村部のそれと一線を画し、町部の花柳界を中心に発展していったのに対して、おわら節は八尾8町が単位となって、それぞれの地方をもち、踊る衣装も揃えて庶民の踊りとして発展した点だ。しかも、編み笠を被れる踊り手は25歳までの年頃の男女に限定されており、踊り手にとっても「人生最大の晴れ舞台」という張りが感じられる。
 かつて、8割の市民が「つまらない」とアンケートに答えた伊那祭り。私はその再生に7年関わってきた。第三の曲の導入、伊那節振興協会の結成と生唄生伴奏。しかし取り組めていないのが「まちの文化」「文化の生活化」であると痛感させられた旅だった。もう一度行きたい、風の盆。
 





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最終更新日  2003年08月24日 13時55分08秒



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