写真1 板東太郎 利根本流の流れ
写真2 多摩川の源流 梅雨の奥多摩渓谷
いま、地球温暖化で気候変動が変調をきたし、世界各地では局地的な洪水被害と、逆に広範囲の旱魃被害が報じられています。そして今世紀、人類が遭遇する最大の困難は、石油不足ではなく、水不足だと多くの専門家は言います。
周囲を海に囲まれた日本は、季節の変わり目に訪れる梅雨、秋雨、毎夏襲う台風、日本海側の山岳に降り積もる雪など、なんと水に恵まれた国でしょう。中でも関東平野にある東京は、世界でも有数の水に恵まれた都市です。
そのことは東京の原型、江戸の街が築かれた歴史を見れば分かります。日本には大陸の大河のような長大な河川こそありませんが、それでも関東平野には日本最大の利根川があり、水量豊かな多くの河川に恵まれています。
家康が江戸に居城を構えた頃は、海は城に迫り、江戸城の周辺一帯は葦の繁茂する湿地帯でした。その湿地帯は、長年に亘り関東平野の複数の水系が収斂して東京湾に注いで造成したものでした。謂わば小さなデルタ地帯でした。
駿河の国から江戸に移封された徳川家康は、江戸での政権を固めるために先ず家臣達を住まわせれ用地をこのデルタ地帯に確保する必要がありました。台地の城の西北だけでは用地が足らなかったので、幕府は湿地帯の開拓に力を入れます。
開拓の始まりは、近くの日比谷入江の中州辺りでしたが、時代を経るに従い、隅田川東側の湿地帯にも開拓を広げます。湿地帯に水路を開通して水位を下げ、開鑿した土砂を盛って陸地を造ります。水の都の基礎工事はこの頃から始まったのです。
東京の都市内を流れる大きな河川の水源地は、西から多摩山塊、秩父山塊、大水上山(おおみなかみやま)です。水源地から流れる水は、夫々多摩川、荒川、利根川となって南下します。(写真1、2)
利根川は、江戸初期に江戸市内の治水のため本流の河口は千葉の銚子へ付け替えられましたが、利根本流に治まらない水は中川と江戸川となって東京湾に流れ込みます。
荒川は隅田川(江戸の頃は大川と言いました)となって市内を貫流しますが、明治の大洪水の後、治水のため荒川放水路が開鑿され、荒川本流となって東京湾に流れ込みます。
いま、東京都市部を流れる大きな河川は、西から多摩川、荒川本流から切り離された隅田川、荒川、それに利根川本流から切り離された中川、江戸川の五本の河川になっています。
これから数回に分けて、これらの川に関係する江戸と東京の話題を提供していきたいと思います。
(以上)