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東京今昔物語  (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

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2011.07.21
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カテゴリ:昭和

有名な俳句「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」は昭和の初めに中村草田男が詠んだものです。昭和と明治の間は大正の14年間があるだけです。たった14年間で明治がそんなに遠くなるわけがありません。

昭和の始めに明治を遠く感じたのは、その間に関東大震災があったからです。関東大震災は、東京の街の明治色を消し去ってしまたのです。中村草田男は、雪景色の中で、明治時代の街の佇まいを思い浮かべて感慨にふけったのです。

それでは、平成も既に20年余を経た今、昭和は遠くなったでしょうか。関東大震災が明治を消し去ったように、東京大空襲は昭和の街の大半を焼き尽くしました。戦前までの昭和の佇まいの大部分は消え去りました。その上に、更に戦後の東京の復興は、戦災で焼け残った昭和を破壊しました。

昭和の64年間といのは、大正時代から引き継いだ遺産を戦災と復興で全て変えてしまった時代でした。中村草田男が明治を遠く感じたよりも、昭和生まれの現代人は、「昭和は遙か遙かに遠くなりにけり」とでも詠むのでしょうか。

しかし、昭和はしぶといです。あの激しいB29の焼夷弾攻撃にも焼け残り、地上げ屋の攻勢にも耐えて、生き残った昭和建築が下町のあちこちで見られます。

東京の下町を歩いていると、やや古びた薄緑の建物に出会います。その建物は銅板で覆われていて、その銅板が錆びて緑青を吹いて薄緑色に変色しているのです。緑青の色は、寺社の建造物ですと貫禄があって好ましいですが、商店などではやや暗い感じがします。

関東大震災の後、再建には火災に強いコンクリート造りが推奨されましたが、建設費が嵩むので木造建築の表面を銅板で覆って防火壁とした建築が流行りました。それが昭和建築の一つでした。

これらの昭和建築はいずれ朽ちて消え去ると思い、撮影して置いたものがありました。それらをここでお目に掛けます。

写真1は上野の根岸、写真2、3は神田の須田町、多町、写真4は八丁堀の湊町、写真5は北品川です。
(以上)


1.根岸3-13D 05qtc
写真1

2.須田町2-03D 05q
写真2

3.多町2-07D 05qr
写真3

4.湊1看板-04D 0909qt
写真4

5.品川-07D 0909(qtc
写真5

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Last updated  2017.03.03 20:41:11
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