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千駄木は通称「谷根千」の一部であり、従って下町と見なされています。しかし、下町然としているのは不忍通り沿いの低地だけです。千駄木は不忍通りの西側ですが、その不忍通りには西側から本郷台地が迫っており、その台地の上は高級住宅地が広がっています。千駄木は下町の中の山の手という感じです。
写真1 観潮楼跡 藪下通りに面する家の前に門の礎石や敷石が残っている。 団子坂を上った本郷台地の上には、森鴎外の邸宅跡があります。ここからは遠く品川の沖が見えたところから、鴎外は自宅を観潮楼と名付け、ここで「雁」「高瀬舟」「阿部一族」「渋江抽斎」などの作品を書き、与謝野鉄幹、石川啄木たち歌人を集めたり、幸田露伴、斎藤緑雨などと文学論を談じたと言います。(写真1) 写真2 漱石猫の家 また、鴎外の住居跡から本郷台地を南へ行くと、英国から帰国した直後の夏目漱石が居を構えて「猫」「ぼっちゃん」などの小説を書いたと言われる漱石の旧居跡があります。今は塀に一匹の猫の像が立っているだけですが、ここは漱石が教授として勤務した本郷の東京大学にも近いところでした。(写真2) 写真3 旧安田楠雄邸庭園 本郷台地は、明治の文豪二人が住んだところですから、今でも下町とは違った格式のある屋敷町の面影を残しています。鴎外の観潮楼跡から北に進むと、安田財閥の創始者安田善次郎の孫にあたる安田楠雄氏が住んでいた邸宅があります。大正時代に建てられた近代和風建築として保存されています。(写真3) 写真4 須藤公園 立派な豪邸が建ち並ぶ整備された屋敷町を東に抜けて坂を下るところに須藤公園があります。須藤公園は、江戸時代の加賀藩の屋敷跡であり、明治には長州藩の品川弥二郎の邸宅となったところで、小さいながらも勾配を利用した風格のある公園です。(写真4) 写真5 半床庵 狸坂を上りきった所に都有形文化財に指定された久田流茶室の半床庵があります。一般の人は中へは入れませんが、和風の門構えと土塀で囲まれた風雅な屋敷です。昔はこの付近は雑木林が広がる俗称「狸山」と言われたところで、狸坂を下りたところが根津の谷で、谷戸川(藍染川)が流れていました。(写真5) 写真6 坂の町 千駄木 本郷台地から不忍通りに下りる斜面には、狸坂、狐坂、貉坂という名前の細い坂道がありますが、昔の風景を思い出させる名前です。今は下町に近い台地は生活するのに便利なので、台地から坂下までの間には戸建て住宅がぎっしり建て込んでいて、千駄木は閑静な坂の町です。(写真6) (以上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.21 21:12:40
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