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戦前愛唱された東京行進曲では、夜の銀座の情景を次のように歌っています。
「昔恋しい 銀座の柳 仇な年増を 誰が知ろ ジャズで踊って リキュルで更けて 明けりゃ ダンサーの涙雨」 東京行進曲で歌われるように、戦前の銀座は、バンドが演奏できるステージがあって、その音楽で客がダンスを踊れるフロアのあって、そこでナイトライフを楽しめる街の象徴でした。 昭和も戦後になると、大きなナイトクラブやキャバレーは銀座から六本木や赤坂の方に移転し、銀座の夜は、会社の交際費で酒を飲む社用族が通う高級なバーが主流になり、銀座裏通りでそれが全盛を極めました。 高度成長も終わり、銀座の高級バーもそれ程流行らなくなりましたが、未だ裏通りのビル街のネオンにその名残りを見ることができます。キャバレーで残っているのはガス灯通りの「白いばら」位です。 (写真1、2、3、4) 社用族でないサラリーマンは銀座の高級バーでは飲めませんが、銀座の裏通りの脇道には庶民的な飲み屋もあります。うらぶれた佇まいの一杯飲み屋でも、場所は花の銀座の真ん中ですから、自慢できる遊び場です。 (写真5、6) 銀座の大通りは夜になっても昼間に劣らず人通りは多いのですが、大半の人は表通りの銀座を楽しんでいて、ナイトライフを楽しむ場所に入り込む人は少ないようです。夜に雨が降れば尚更人影は薄れてしまいます。夜の楽しみを求める人々は、格好良さを求める若者は六本木へ、風俗を求めるものは新宿歌舞伎町へと、今の東京のナイトスポットは分散しています。 (写真7、8) どこの国でも都市には表と裏があります。表の都市は威儀を正してよそ行きの佇いを保ちますが、裏の都市は格式張らずに気楽に楽しむ場所です。銀座の表通りと裏通りも同じくその役割分担していますが、繁華街の裏側に隠れて夜を楽しむ場所が、高級バーとうらぶれた飲み屋という銀座には、少々寂しい気がします。 しかし、バーが密集する裏通りを歩いていて日本伝統の銭湯「金春湯」を見付けてホットしました。銀座にも江戸時代創業のレトロな銭湯が営業しているのだから、やはり銀座は日本が自慢できる街だと思い直しました。 (写真9) (以上)
写真9 レトロな銭湯「金春湯(こんぱるゆ)」 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.10.14 18:57:42
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