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浅草は江戸町民が育てた町と言いましたが、その町民の文化を今日に伝える具体的なものと言えば色々な工芸品があります。例えば、東京染小紋、本場黄八丈、江戸木目込人形、東京銀器、東京組紐、江戸鼈甲、江戸象牙、江戸指物、江戸簾、江戸更紗、江戸和竿、江戸切子などです。
これらの江戸時代に誕生した工芸品を今でも製造販売する店は、東京の下町の台東区と墨田区に多く散在していますが、浅草街区内では、公会堂オレンジ通りに集中しています。明治以降、この通りに手工芸品を製造販売する店が集まり出すと、他の地域にあった工芸品関係のお店が更に集まるようになり、今ではかなりの工芸品の店舗が並ぶようになりました。 公会堂オレンジ通りは、伝法院裏門から雷門通り至る道でして、浅草街区内では歩車道が分離した唯一の道で、ゆっくりとショッピングができます。雷門通りの入口から浅草公会堂オレンジ通りに入ると、先ず目に付くのが桐木目込みという独特の技法を用いた桐工芸品を製作販売している「箱長」という店です。続いて秋田杉を素材に大館曲げわっぱという和製食器を製造販売する「柴田商店」です。 (写真1、2、3) 更に進むと、モダンな鼈甲装飾品を製造販売する「ベッ甲イソガイ商店」があります。向かい側には、鹿のなめし皮に漆染色を施してパッチワークの小物を製造販売している「前川印伝」という老舗の商店があります。その他にも明治時代からの創業の老舗、創作ジュエリーの「吉田貴金属店」、ハンドバッグの「孔雀堂」などがあります。浅草公会堂の隣には銀器、銀装飾品の銀細工を製造販売する「もり銀商店」があります。 (写真4、5、6、7、8) 古書街や繊維問屋街のように同業者が集まって街並みをつくる例は幾つかありますが、個性を売り物の手工芸品の専門店が集積する公会堂オレンジ通りは珍しい例です。柳宗悦と共に民芸運動を推進した河井寛次郎は「暮らしの中の実用の美に魅せられた」と言いましたが、いつも身近な生活の中に実用の美を置くという日本人好みの習性が、このような手工芸品街を誕生させたのでしょう。 雷門通り入り口から公会堂オレンジ通りを歩いてくると伝法院裏門に突き当たりますが、伝法院通りとオレンジ通りとが出会う角地に台東区立浅草公会堂があります。昔ここには区役所庁舎があったので、公会堂誕生までは区役所通りと言われていました。 (写真9) その公会堂の前の歩道沿いの地面に、映画の街のロスアンジェルスにあるハリウッド映画俳優の手形版のような、日本の芸能人の手形版が飾ってあります。浅草が映画演劇で盛んだった街の思い出に、道行く人々が手形版に手を重ねています。 (写真10) 浅草と言えば戦前も戦後も繁華街の猥雑さを求めて人々が集まるところでしたが、浅草公会堂オレンジ通りは、浅草には珍しく藝術的高級感のある老舗と名店のある街路です。 (以上)
写真10 日本の芸能人の手形版 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.12 16:22:49
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