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カテゴリ:ケセラセラな日々
ワタシは3人兄妹の真ん中で育った。 ワタシと5歳離れて ひょっこりできた 末っ子の妹は難を逃れたが(笑) ワタシと兄は幼い頃 両親にとても厳しく育てられた。 反抗期どころか 親に口答えすることなど 当時のワタシたちには 想像すらできなかった。 ワタシの幼い頃の記憶の中には 母の怒っている顔の方が多かったりする。 特に長男である兄に対しては 強いオトコに育てようと まだ若かった母は一生懸命だったらしく 兄がまだ4歳~5歳の頃 近所の悪ガキに泣かされて帰ってきたりすると 「オトコが泣いて帰ってくるな!」と一喝し やられたらやりかえして来いという勢いで 家にあげてもらえなかったらしい。 父方の祖母は 父が18歳の頃に他界し 姑のいない母にとって お向かいの たばこ屋のおばちゃんが 先輩であり母親のような存在だったのだが ある日 母は その たばこ屋のおばちゃんに 「あんまりキビしく叱ったらんときや。」 とたしなめられたそうだ。 おばちゃんが店番をしているとき シクシク泣きながら帰ってきた兄が 玄関の前で一生懸命 涙をぬぐって はぁ~ と肩で深呼吸をした後 「おかあちゃん!ただいまーっ!」 と明るい声を出して家に入っていくのを 何度も見かけたのだそうだ。 健気やなぁ しかしそのおかげで 兄は 妹のワタシが言うのもなんだが 社会的にも人間的にも 強く立派なオトコに成長した。 (¬з¬)σ あ ムスメたちには弱いか。 去年の夏に父が他界して ひとり暮らしになった母にとても優しく 仕事が忙しくて 休みもままならない中 毎月 父の月命日の頃には お参りに行きたいという母を車に乗せ 父の眠る墓地に連れて行ってくれる。 ええ息子になったねぇ。 そういえば 長男チロも小学4年生の頃 今のマンションに引っ越す前に 1年間だけ住んでいた 横浜市の小学校に転校したとき ちょっとした転校生イジメに遭っていたことを ワタシに黙っていたようで その後 2年ほど経ってから告白した。 ワタシもどちらかというと 「やられたらやり返して来い」な方なので もしもピーピー泣いて帰ってきていたら 「負けて帰ってくるな!」と わが子を叱ってたかも知れんなぁ。 「何でそのとき言わへんかったん? お母さんに怒られると思った?」 と 当時チロに聞いたことがあった。 「うん。 だってそんなコト お母さんに言うたら 戦車で学校に 乗り込みそうやったから。」 オカン どんだけ最強やねん チロは翌年に転校したこちらの小学校では、早々に暴力を振るってきた 大柄な男子を引き倒して負かしたらしく戦車の出る幕はなかった。 ←強くやさしいオトコになっておくれ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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