カテゴリ:歴史
今日は2月26日。
今から70年前、若き青年将校たちが首相官邸をはじめ、国家の重要施設を 襲撃し、政府要人を暗殺した事件が起きた。 いわゆる、226事件である。 彼らの志は達せられず、かえって逆賊として処罰されることになった。 この悲劇が人々の感情を刺激し、後には映画やドラマにもなった。 この事件を扱ったものは多いのだが、僕の心を捉えて放さないのが、三島由紀夫 の『憂国』という小説だ。 すべてがノンフィクションではないけれども、当時の国を憂う若者の心、新婚の ために決起部隊からはずされた青年将校の挫折感と軍人の妻としての生き方を 全うしようとしたその妻の最期。 こうしたものが巧みに描かれている。 国家を憂うということ。 時の政治家に失望し、命を賭して革命を成功させようとする思い。 不惑の歳になろうとしている僕自身には少し青臭く感じる。 僕が青年将校と同じ年のころには、国家の変革なんて考えもしなかったし、むしろ、 大きな波に流されていた。 そうすることが楽だったし、国家を憂うなんてことはなかった。 ここ数年、日本はどこかおかしくなってきているといわれる。 いや、おかしくなっているというのは毎年のように言われている。評論家はそう言って いないと仕事ができないからだ。 本当に国家を憂いて国を論じている評論家はどれくらいいるのだろうか。 彼らは何かに文句を言っていないと生きていけないので、何に対しても食いつく。 もちろん、言論の自由の認められている民主主義の国日本だ。彼らの存在を認め ているのは当然。言いたいことの言える社会はありがたいこと。 しかし、もう少し建設的なことを言ってほしい。 野党にしてもそうだ。 今国会を見ていると、何だか建設的な議論がされていない。 それに、国会中の野次は何とかならないものだろうか。 汚い野次で何度も問題になっていた永田議員の今回の騒動も、野党第一党の民主党 にしては、なんともお粗末。 民主党には人はいても、人材がいないということなのかもしれない。 政府の政策に対してよりも、国会議員の質を考えると、国を憂いてしまうのは、 はたして僕だけだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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