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カテゴリ:ふと我れ思ふ
阪神・淡路大震災から30年。
当時は実家のある大阪で暮らしていて 受験を控えた中学3年生だった。 午前5時46分。 突き上げる激しい揺れで目覚めるも 何がなんだか分からない。 体が固まったまま ベッドから動けない。 頭の中で 「関西は地震がない場所ではなかったのか」 と、思っていた。 実際、地震に備えての避難訓練などは 学校でもあまり無かったように思う。 地震の時は蛍光灯の揺れを見ればその大きさが分かると 母から聞いていたことを思い出し 第一に蛍光灯を見上げたら 右に左にコンセントが抜けんばかりに大揺れしている。 これはただの地震ではない。 そのうち柱からメキメキッという音がして 「ああ、このまま自分は家の下敷きになるんだ」 「家の下敷きになるってどんな感じなんだろう」 「痛いのだろうか。苦しいのだろうか」 「近くのガソリンスタンドが火事になって その火にまかれたらどうしよう」 などと考えていた。 揺れがおさまってからの自分の心臓の音は まるで100メートル走を駆け抜けた後のように激しいものだった。 落ち着いてから両親の部屋へ行き 「今の、地震ちゃうん!?」と当たり前の事を聞き 皆で一階へ。 当時飼っていた犬が震えていた。 犬も恐かったろう。 リビングでは食器棚から飛び出した皿が割れていて 裸足では危ないからとスリッパを履く。 テレビをつけると神戸で震度6。 あちこちで火災が起きているという情報。 外へ出ると近所の人も何人か出てて 「恐かったね。大丈夫やった?」と声がけ。 向かいの家の瓦が落ちて散らばっていたが 火は見えなくて安心したのを覚えている。 父はこの日四国へ出張する予定で もう少し発生時間が遅かったら 倒壊した阪神高速を走っているところだった。 学校へ行こうと家を出た7時半くらいに 大きな余震があり 電線が大きく揺れ 近所の瓦がガラガラと落ちる音が恐かった。 通学路では神社の鳥居が倒れていたり 塀が割れていたり。 授業中も何度か余震がありその度に机の下に隠れた。 余震は震度3程度のが1週間くらい続いた。 生きた心地がしない。 天災はいつどこで起こるか分からない。 今ある日常が当たり前とは思わず 1日1日を大切に生きよう。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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