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幕末_WITH_LOVE玄関<中島三郎助と蝦夷桜(現在の頁) |
中島三郎助と蝦夷桜
No.1 ・・・・<No.5 <No.6(現在の頁) <No.7<No.8・・・<No.12 |
中島三郎助(諱:永胤)文政4(1821) - 明治2/5/16(1869/6/25),幕臣,蝦夷では「箱館奉行並」,享年49 |
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中島三郎助と蝦夷桜_No.6
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冬間の皺寄せ、一両一歩 |
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箱館奉行並の中島は、頭が痛い!!
榎本軍の軍用金不足は究極をむかえていた。一兵卒の一両一歩とて、まともに抽出できない。 誉れ高く有りたいはずの榎本軍は、悲しきかな、既に手を汚している。貨幣の質を落として鋳造した。
一般によく言われている榎本の贋金作りとはこのことだ。博打も廓も私娼も両目を瞑る。 それどころか、そこに一種の関税を組み込み、足しにしていた。
兵の増強を図り、地元採用はいいが、スパイが紛れ込む。怪しきは糾問、見破っては斬り捨て
を繰り返すが際限がない。蟻のように次から次へと小さな隙間に紛れ込む。 この冬間も休みなく、カズヌーヴ他フランス軍のアスリート達が新規採用の者に調練を施した。
しかし、ここで拾いこんだ者達にはかなり質の悪い者が混在していた。浪人やら罪人やら、 わけのわからぬ者も人数として拒めないのだった。案の定、余計な事件が起きる。
幹部がごっそり詰めた五稜郭近辺はまだましだが、遠方、福山や江差では統率する長が むしろ哀れだった。不愉快な事件の汚名を蒙り、処分に血を流さねばならなかった。
中島は特に、会津遊撃隊長の諏訪常吉を同情していた。京都時代も会津公用方として頭の痛い
仕事ばかりやってきた彼。この人物は新撰組との縁も深い。
福山駐屯中の諏訪。冬間に余計な事件が降ってきたのだった。 極めて紳士的な彼、駐屯地でも隊の評判が良かった。その彼が処刑に踏み切ったというのだ。
■会津遊撃隊長の諏訪常吉の懊悩
事の次第を聞くなり、中島は頭を抱えた。 「諏訪殿には、何ごともなければよいがのう。」 後に、この諏訪が想像だにしなかった大胆な行動に出て、榎本の怒りを蒙るとは
この時点で、中島は夢にも思っていなかった。
プライドのない者は、言語で言ってきかせても効く薬などない。榎本軍は侵略軍ではないにも
かかわらず、これでは蹂躙の繰り広げだ。当然、民心離反に拍車がかかる。
しかし、その一方で思いがけぬ情報も耳に入ってきた。
「犯人はどうやら、極道ならずや、平素気の小さい屑みたいなやつだったらしい。」 「気が小さいわ、金ないわ・・。勢い、大酒食らって、酒の力でやったらしい。」
「所詮、士分ではないものの、姿を見られるまいと、わざわざ布団を全身に被って ヤドカリ状態の無様な格好に変装して悪さをしたらしい。」
「ほっ?その格好で、どうやって、女子(おなご)に悪さができるのじゃ?」 「知らんわい、所詮、噂じゃ!」
■諏訪氏哀れ也。この事件のおかげで賊長諏訪などどいう形で、町史に汚名が残されてしまった。
賊長諏訪って誰?調べた。つくづく残念。悪い予感的中。まさしく彼だった。 それらの噂は、根拠などない。雑兵達のいわばスキャンダルのようなもので、
一切あてにはならない。
それでいて、やはり、中島はついに頭を抱え込んだ。 「やはり・・・・金か!!」・・・呻くように崩れ込んでしまったのだった。
それらの事象の根底にあるものは、すべて金欠だった。
まずい、これでは、永遠にこの頭痛が治まるわけがない。
五体満足な若い男の群れなのだ。底辺に蠢く者達は、一両一歩以下の端金。それで、どうやって
廓(くるわ)や遊郭に行けるものか。もっと低額な店もあれば、怪しげな場所もある。しかし、 所詮金がかかるに他ならない。先の見えない絶望的な環境の中、掘っても掘っても雪が覆いかぶさる中、 余計に労力をかけて、やらされる仕事といえば、土塁工事。彼らから酒を取り上げれば、精神的に 狂ってしまうのは火を見るより明らかだ。安酒も飲まねば気が狂うし、浮き事にもあやからぬことには
生身の人間である以上無理な話なのだ。
また、純朴な若い兵達は、けっして乱暴事を起こすことはない。しかし、各隊の長が月に一度程度、
廓(くるわ)通いを黙認しても、十代の若者の恋心が、玄人相手で満たされるわけがない。 村の娘と忍びあい、若い二人が純粋に結ばれて誓い合う。
若い兵が言う。 「俺はのう、安定さえすれば、この地の開墾に生涯を捧げるつもりじゃ。
戦うことには、所詮むいてないのじゃ。侍といっても足軽じゃ。一生懸命働いて、お前の家族と 俺の母親を国から呼び寄せて、皆で暮らそう。なっ!」 ・・・しかし、いつの間にか娘の腹が膨らんで騒ぎになる。
しかし、この程度なら、中島は悩まずにすんだ。色恋沙汰やら、下賎の者共のやらかしたこと
なれば、後味は良くないにせよ、まあ忘れて忘れられぬ事でもない。いつまでも悩むに値しない。
ところが、何回思い出しても、いやな事件があった。
中島はそしらぬふりを装いながら、被害者ともいうべく青年が、極めて清らかな若者だった と伝わることから、それが心にひっかかって、忘れようとしても、ふとした度に記憶に蘇る。
清らかな若者・・・そう聞けば、とても人事とは思えない、哀れ親心というものだった。
■清らかな若者の自刃と、なぜか彰義隊
不可解な事件とは、実のところ、今となれば、もう古い。 11/27五稜郭では一人の若者が原因不明の自刃を遂げた。 彰義隊に属する佐野豊三郎だった。借金を悔いて切腹などと伝わるものの、 厳格主義の大塚の対処に中島は小首を傾げていた。
■松前城攻略時の彰義隊トラブル(渋沢成一郎、対して、大塚霍之丞)
発端は、明治元年11/5ついに松前城制覇、それだった。この時、彰義隊には派閥争いのトラブルが
入り乱れ、解決まで手を焼いた。当初、隊長の渋沢成一郎から訴えが入った。 部下の大塚霍之丞達が参戦拒否したとの内容である。それは、とんでもない不届き者め!
まず、大塚達を謹慎処分に放り込んだ。
ところが逆襲劇発生。京都時代に「京都見回り隊」の中枢、実際の指揮を握っていた榎本対馬。 彼の「待った!」が入ったのだ。義理堅い男、対馬は、かつての部下兼右腕、今井信郎
(この蝦夷では裁判官兼務)経由で、大塚の言い分を聞いたのだった。
大塚の訴状はこれだ。松前城制覇の際、渋沢成一郎は旗を挙げる前に金庫へ直行。金目当てに動いた 不届きの隊長!そんな者に従えるものか!というものだった。
そうなると、ついに、榎本爆発。完全に逆転。今度は渋沢が降格となった。 部下として不義極まりない者を訴えた渋沢は墓穴を掘り、己がやられた。
おさまるわけがない。民主的に双方聞くから、これまた悪いといえば悪い。
早い話、終わらないのだ。正々堂々と果し合いをやれ!ということになった。 待てど、暮らせど、渋沢が現れない。
それもそのはず、そもそも渋沢は「知的ボイコット」の達人なのだった。
ここぞという時には、マントをひるがえして、颯爽と立ち去るのだそうだ。
■渋沢成一郎:好き嫌いは別として、知的ボイコット&サボルタージュの達人である。さすが明治を生き抜いた。
■上野の山でも、突如消えた。■箱館戦争終焉時にも、いつの間にか逃走。一ヶ月近く近郊の民家に潜伏。 立ち去る際は、「世(己)が晴天白日のもと、世に出立の暁には、これを持って参るがよい!」と礼金の手形の
つもりか、マントを一枚置いて行った。 彰義隊内部分裂事件は、どうやっても終わりそうもない。 しまいに榎本、ついに本人が疲れた。
もともと彰義隊は大きくは、二派に大別され、その上、上野での戦闘の際には、全国各地から転戦して
きた他の少数部隊も合流して共に戦ったいきさつから、異種の人間達による混交体だったのだ。
時間がなかった。非常にめんどうでもある。そもそも、それどころでない!!
されど、放置すれば内部分裂の火花が飛び散る。榎本は大塚を総裁付に類するポジションに吸収して、 彰義隊と小彰義隊に分隊することによって解決した。これによって大塚は榎本に深く感謝して、
彼のためなら命も厭わない。
大塚霍之丞:榎本の切腹の瞬間、自ら怪我を負ってまで、それを必死で食い止めた男
また、3/25の宮古湾海戦で戦死した大塚浪次郎の兄でもある。
そこまではよかった。しかし、全くそれらのトラブルから切り離された事柄として、 遮二無二終わらせ、抹消されたあの事件が、どうも中島は、ひっかかって仕方ない。 十一月二十七日の若者自刃事件は、どう考えても、一続きの事象に思えてならないのだった。
四十九歳の中島は見抜いていた。さては、派閥争いの犠牲に他なるまい。
■悲運の犠牲、佐野豊三郎
借金を苦に自殺?そのわりにはちゃんと介錯人までいた。榎本の為、命も厭わない男、大塚が
背後にいる。地元商人に無心して発覚。恥じて自刃ということになっていた。
そんな馬鹿な話があるものか!小銭欲しさに、一人の若者が、そんな大胆な真似をするわけがない。
この若者は聞くところによれば、同隊の笠間金八郎、加藤作太郎(※両者共この後、3/25宮古湾海戦 で戦死)と共に徳川報恩に命を捧げる覚悟で参加してきた勇猛果敢な若者だ。 そんな男が下らぬ真似をするわけがない。
榎本の金欠は、上の者なら誰しも解っていた。男らしさという点ではちょいと問題のある渋沢とて
マネジメントサイクルに関して言えば実にキレ者だ。やってくれたことに好感はもてないが、上に立つ 者として、つまるところの財源に視線が注がれたのは、彼ならではの実践的頭脳に由来したともいえる。 佐野は、この渋沢の率いる彰義隊に居た若者だった。
しかし、金欠解消の話とは、ずばりそのものであるが故、口に出して良い者といえば、その解決策を
具体的に進言できる極上層部の立場にいる者だけである。いわば恥の部位に等しいからだ。 若者がそこに首を突っ込むということは、子供が大人に、「父さん、お金無くて困ってるんでしょ!」
と言うようなもので、けっしてあってはならぬ事だった。
さては、厳格主義の大塚・・・!!
中島は、この若者を思うと胸が痛かった。優秀で思いやりがあって、つまるところが何であるかを
判断できる能力がある。脳で判断した行動を取る。それもひとつの勇敢なのだ。
人事でない。一歩間違えれば、我が家にも、それに類似した人種、そんな倅が一人いるではないか。
彼もまた、脳で判断した行動を取る男なのだ。 この若者の軌跡を想像するに及んで、中島は実に悲しかった。
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ふと思うあの若者・・佐野豊三郎 |
十一月といえば、冷たい吹雪の最中だ。降り積もる雪の中、 寒さに耐えながら、一歩一歩進んでゆく若者の姿がありありと浮かんでくる。
「よし、榎本殿をお助けしよう。今の自分にできることを精一杯にやらねば!」
一人の若者が行く。
彼ら若い兵は皆、革靴など持っていない。 素足にわらじを履いて、足首に付着した雪は、やがて体温で溶けて、足の甲に流れ出す。
指先はびしょ濡れだ。真っ赤に膨れ上がって、凍傷寸前になる。
何回も何回も、両手を口元に持っていっては、熱い息を吹きかける。 それでも指先はかじかんで(方言:凍って感覚を失うさま)くる。
さらに歩き続ければ、その水滴がことごとく凍りついて、袴の裾がごわごわになる。 裾が傘のように広がったまま、雪中を漕いで歩く。時々、けんけんの姿で片足で立っては もう一方の足側、そのわらじを手でつかんで、中に入り込んだ雪球を叩いて落とす。
いくらやっても同じだ。そのうちあきらめる。 足元だけならまだしも、こうなってくると羽織も同様凍りつく。 歩くたびに凍った羽織の袖がガバガバと異様な音をたてて苛立つばかり。
ついに全部諦める。苛立ちも凍結して、ついに消える。 生きながらにして雪だるまになってゆく。
それでも、一軒、また一軒と門をくぐっては、商家の扉を叩いて
無心の旨を告げて歩いたのだろう。
所詮若者だ。なんら後ろ盾になるものはない。権力もなければ顔もない。 一体、何軒断られたことだろうか?
なぜか、なぜか・・・認めたくないけれど、
なぜか睫も凍る。そんな自分を叱責しながら、かじかんだ手の甲でその目を拭う。
やっとの思いで話をとりつけて、その時の喜びはどれほどだっただろうか? 喜び勇んで帰ってきた。
この若僧がおこがましくも、まさか自ら、総裁に謁見などしてはなるまい。
胸を張って、喜びに震えながら、報告したのだろう。
しかし、そこに、待ち受けていた現実は!! ・・・・ 十一月二十七日、五稜郭で、一人の若者が自刃を遂げた。 それは、彰義隊に属する若者、佐野豊三郎だった。
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彰義隊の延々トラブル |
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以来、十一月五日に発生した彰義隊の渋沢対、大塚の 怨恨トラブルは収まっている。
佐野豊三郎の命は返らない!!
いったいなんだったのだろう。この不可解な事件の真相は・・・ 榎本は詳細を知らない様子だ。そもそも彼は正直なのだ。報告は素直に聞き入れる。
無論、人間である以上、知れば当然怒ったにはちがいない。 がしかし!この手のことで、切腹など!!彼の発想経路からすると、絶対にありえない事だ。
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咲いて散るなら、徳川報恩。あっぱれ、それでよし。 それだというのに、なんたるざまだ。 どうせ、散るなら咲かせてやりたかった。 蕾のままに摘み取られた命。
死者に口無し。 無念の死を遂げた若者は、命と共に 『真相の埋没』という名の 要らぬ餞までも、闇夜に 持ち去る任務を負わされた。
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▼ ■上記事件、本当に妙な事件。上記のとおり、幕軍全体の為であって欲しい所なれど、一説には流用、隊の名乱用で
娼妓を買い取ろうとしたとか、否、実は、哀れ売り飛ばされた下級士族の可愛そうな娘(現状娼妓)を救う為に水揚げ だとか、どっからどこまで本当か解らない。必死でこの人物出所調べましたが、なんせ、上野で戦った合流軍の 壊滅寸前の小さい隊の生き残りは、彰義隊などに吸収されているため、元々の出所が判然としない人物沢山。 いずれにせよ、救いの手が差し伸べられなかったことから、この人物も、壊滅寸前小隊の生き残りでしょう。
彰義隊の仲間割れ状態の中で、強い仲間団体が居なかった証拠。このような出所不明状態の人物の多くは、脱走軍諸隊 が多い。行動は大鳥圭介配下の者に見えますが、各諸隊の実態は、個々ばらばら、仲間ごとに結束。仲間が大勢死ぬと 生き残りは孤立状態。上野で混じったというよりも、主に仙台で蝦夷に向う際、便宜上、彰義隊に吸収された者。
蝦夷内で彰義隊二分事件が起きて分裂してますが、出元的に、どちらに属さない為、仲間意識が希薄。どちらのブレーン も、こうしたタイプの者の出元情報に疎い為、今日に及んでも不明状態の者と化す。
■佐野豊三郎の類似名から追うと・・・【佐野義三郎,佐野豊三郎,佐野儀三郎】 ■これでゆくと彼は 伝習隊第2隊内「第2小隊」に於ける教導約の佐野である可能性が高い。
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幼少の英次郎を叱った記憶を辿るなれば、こんな状態だった。 ・・・
老齢の中島の母が用事で外出したところ、帰宅が遅れ、皆、手分けをして探した。
まさか、親にしてみれば、よちよち歩き同然の英次郎まで、一人で探しに出かけるとは 夢にも思わなかったのだ。ほんの一瞬、下僕が目を離した隙だった。
英次郎がいない!
中島の母は、ほどなく帰宅。眩暈が原因でひと休みしたらしい。 おかげで、家では、人探しの対象は母でなく、英次郎の迷子探しになってしまった。
中島は、徳川のためなれば、己の命など惜しくない。 たとえ時代錯誤といわれようが、己の信念に揺らぎない。
いわば、怖いもの無しなのだ。
が、しかし、その中島とて、怖いものが、ひとつだけあった。
・・・・ それは、親が、子を失う・・・その瞬間だった。
中島が幼少だった時代と異なって、物騒な時期のことだ。中島は全身が凍りついた。
下僕の一人が、英次郎を抱えて、やっと帰ってきた。 中島は、潤む己の目を拭うと、即座に体勢を入れ替えるや否や、 幼い我が子を正座させた。 いつになく、彼に対し、きつく叱っていた。
大人しく優しい性格の英次郎。
しかし彼の正義感は、ふとしたはずみに・・・・ ・・・・ 中島はあわてて、頭を振った。振り払って忘れようとした。
中島の目の届かないところで、じわじわと亀裂が発生してゆく。 しっかと両肢で踏ん張って立っているにもかかわらず、 この巨大な大地、蝦夷は、知らずして足元がぐらついてゆく。
不毛の地、蝦夷では、雪が年の半分をまるごと、万事稼動不能に陥れる。
榎本の知恵をもってしても、冬間の新規殖産興業は不可能だった。 2/19ガルトネル99年土地租借契約、プロシア300万坪。中島は花押しに踏み切っていた。
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去る二月十九日、中島三郎助は兼ねてからの難題、検討中だった一件の「ガルトネル土地租借契約」 に解決を下した。総裁の榎本はもちろん、永井玄蕃と並んで、花押しを為したのである。 これによって、九十九年間、蝦夷の七重近郊約300万坪はプロシアの租借地となる・・(・・・ところだった。)
いかに財政難に、多大なる効果有りとて、植民地のチャンスを自ら与えるようで気が進まない。 なにかと不可解だったものの、先進的な榎本のみならず、永井の説得が中島を動かしたのだった。
この蝦夷は一般的知識だけでは追いつかない。農業が原点とて、この気候、この地質。
稲作は古くから何回も試みつつ、その度に挫折している。米はもっぱら高価な内地移入品に頼る状態だ。
畑作とて失敗の連続。内地から持ち込んだ種も幼木も、皆枯れ果てる。野菜とて自給自足程度。 実に粗末なできそこないを皆が食しているだけだ。大豆はあるようでいて、まともでない。
低温。日照不足。その昔、松前は、しかたなしに、これを馬大豆と称して偽年貢のごとく徴収した。 馬まで哀れである。糠と、人が食うに食えない不味い大豆を食わされた。
蝦夷の畑の産物で、交易の足しになる物なんぞ、夢の夢だった。
第一、この北の地に最も適した農作物の種別が現状では、定かでない。 農耕手段も根本的に異なる。何もかも、皆知識不足なのだ。
永井は、そう語った。 ・・・・
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七飯の地に、海外の農耕技術を!
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永井は、中島三郎助に対して、こう言ったのだった。
ガルトネルに対しては、単純に土地を貸し与えるだけでなく、最新式の農業技術を普及し、 北地に適した種を導入して、定着させる、その手掛かりを掌握する為の措置なのだ。
そして、こうも言う。民の雇用を促進、豊かにする。我々の士官からも担当者を派遣して、 知識を集積させる。農民も同じように、ただ単に労働に強いるでなく、農学を学ばせる。
中島殿、この蝦夷に於ける農耕には、根本的な改善が必要なのじゃ。
まず、防風林じゃ。プラウ農耕じゃ。機械農耕の必要性じゃ。 米に執着してはならぬ。馬鈴薯、麦類、牧畜。果樹。養蚕。
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地質と気候に一致した農耕がある。不毛の地などではない。
今こそ、覚醒の時ぞ。頭を使え!近代的機械農耕じゃ!
この地は無限大の宝庫なのじゃ!
海外に留学生を派遣する。 留学生として、 士官代表と農民代表を 毎回選抜する。
農学といえど、この地のスケールは常識外である。
近代的機械の導入普及が先行なのだ。 伴って機械工学のスペシャリストの養育が必須項目となる。
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榎本には留学経験から、他にも農耕部門に自信があった。オランダも高緯度の国。そこで酪農があり、
バター、チーズなど生産される。蝦夷も可能と思った。ジャガイモ、麦も可能&交易材料に使える等。 |
中島、胸の鼓動 |
永井の口から「機械工学」が出た。 中島は己の胸の高鳴りを抑えることができなかった。
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それまでの己。それは「機械工学」イコール軍艦 そこから、脱していなかったのだ。 途端に、次男、英次郎の顔が浮かんだ。
・・・優秀で洋学には幼い折より頭角を発揮している。 「機械工学」は、なにも、戦闘の世界に限らなかったのだ。
交換留学生のシステムが組み入れられるという。
士官代表と民代表が、数年に一度、海外の地へ、 留学生として送り込まれる。
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中島の幻想、大海原の英次郎
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中島の胸中に、英次郎の晴姿が、活き活きと浮かび上がった。
それは、青い洋上、海風に頬を吹かれながら、 艦の甲板に颯爽と立つ我が子の姿だった。
堂々、士官代表留学生として、彼が海外へ、羽ばたいてゆく。
限りなく澄みきった彼の眼差し。 まばゆいばかりに海面に降り注ぐ日の光。 彼の世界が、そこにある。
・・・そして、名誉の帰国の時。
ひとまわりもふたまわりも大きくなった彼が、 今度は立派な機械工学のスペシャリストとして、 大海原の彼方から、 再びこの地に降り立つ時が来る・・・!
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ここに、英次郎が幼い頃の話を追加_ |
夢、無限大地、蝦夷の地平線
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我が子、英次郎に、父_中島が見出した「一筋の光」 |
未来を担うは科学だとういう。 その世界へ向けて、この道は続いてゆく。 地平線の彼方まで延々と、限りない可能性を秘めて・・
己は父として、今、確かに、一筋の光を見た! 「錫よ、お錫、錫よ、聞け!」
中島は、地平線の彼方、遥かなる故郷を見出そうとしていた。 そこに暮らす我妻に、無意識に呼びかけていた。
「俺は誤ってなど、いなかったのだぞ。 英には、英の道がある。英の歩むべき道がここにある!!」
中島は、俄かに己の唇が嬉しさのあまり、 思わず震えてくる・・・その感覚を味わっていた。
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この瞬間、つまらぬ懊悩、それらの全ては消え失せた。
父としての罪の呵責。この子を連れ去るのかと、泣きながら、夫に必死で抗議を訴えた妻。 つい理性を失って妻の頬を打った己。・・・消えた!万事消えうせた!・・・
明治、二年、二月、十九日、対ガルトネル、
九十九年土地租借契約。 中島は、花押しに踏み切っていた。
とはいえ、実際問題、これは明治の頭痛い巨大な宿題!! ▼
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追記:本当に、ガルトネル契約は汚点だけか? |
- 汚名高いガルトネル契約事件だが、上記のとおり、
頭ごなしにマイナス要因ばかり指摘している場合でない。 - そもそも、これは榎本ご新規でない。幕府ラスト蝦夷奉行、杉浦誠が発端。途中でごたごた。
あわてたプロシアは新政府、清水谷公考に引継ぎ解決を迫ったが、途端にこれだ。榎本軍が やってきた。その為、榎本軍で最終決議。 - この後の世、明治でこの汚点(悲しいが時勢柄、汚点要素のほうが強かった)を解決したのが
この人。村橋久成。この人も悲運の終焉。 - ついでに、不思議なものも出てきた。発端は上記のとおり、杉浦誠であり、榎本時代の契約を、
新政府が即!解決に動いたように伝わるものの、明治3年のこの契約書は何なのだ?
下小枠内人物は、七飯の八王子千人同心蝦夷移住隊。
不幸にしてこの箱館戦争で戦没した秋山幸太郎は第二次移住隊だが、それよりもぐっと古く、
1800年代前半にも移住隊が入っている。 英雄、秋山幸太郎の直系は彼の死後、なぜか判然としないが、下記人物は血縁と思われる。
▼
- 明治3年午3月:畑地主_飯田甚五兵衛(印判)、家主_秋山 仲司(印判)
ガルトネル殿、なを年貢相附節は、貴殿方にて上納相成候。 - (彼らも八王子千人同心蝦夷移住隊の系)
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妻からの手紙、我が友春山
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ちょっと、寄り道:ここに、英次郎が幼い頃の話を追加_ |
中島三郎助と蝦夷桜
No.1 ・・・・<No.5 <No.6(現在の頁) <No.7<No.8・・・<No.12 |
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文章解説(c)by rankten_@piyo
イラスト写真については頁最下欄 |
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幼い頃の英次郎(≒房次郎)
機械学大好き家系の血。 幼少より、父中島三郎助の血が丸見え!
幼少時の英二郎と「水からくり」
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中島の父、清司といえば、中島本人に輪をかけてスーパー親父さん。引退後も再度幕命で 呼び出され、68才でまだ現役。鬼のように大活躍。しかし、そんな彼とて孫には目を細めて いる姿がこの話で忍ばれます。中島が長崎に行ってる時、英次郎を自宅に連れ帰り世話を
していますが、その様子を倅の中島に送っています。お利口さんで大人しくて賢くて・・。 中島は、共に長崎で合宿中の、友達、春山弁蔵に、もし、そう言われたら、きっと内心
照れくさいものの、「大人しくて困るわァ。」なんて言っていたかもしれませんね。
清司から子、三郎之助に送った手紙
幼い英次郎の実況報告!
当方無異にて、英次郎至極穏やかに御座候。
金魚鉢遣り、大いによろこび、水カラクリ等、日々楽しみおり候。 他出嫌いにて、稽古のほかは宅にばかり居り候。 まず浮雲気これ無く、安心に候。
男の子特有のハラハラするような危険なところもなく、落ち着きがある。 外に飛び出して遊びに行かない。おとなしくちょこんと座って金魚を見て満足している。 よく見ると、金魚そのものよりも、装備品の動く水のカラクリに興味を 持って観察している。実に、英次郎さんらしい。
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英次郎達の散華
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雀のあしあと:歯車;
Celestial Tier:夕焼け写真;薫風館:和風イラスト |