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テーマ:韓国!(16993)
カテゴリ:韓国
12月に入ってまたぞろ仕事が忙しくなってきた。日本では忘年会が盛りの頃だろうが、韓国ではクリスマス休暇も正月休みも無いに等しいから、あんまり日本に居た頃の「年の瀬」という雰囲気は感じない。
それでも街中は至る所クリスマスデコレーションだらけだし、市庁前の広場には、巨大なイルミネーションが出現した。 ココまでやられると、趣味の悪さも凌駕してしまうから大したものだ。 ┌(・。・)┘♪ 韓国では街中の教会の数が、日本では考えられないくらいに多い。尖がり屋根の上に十字架を乗っけた建物が、至る所にある。自社ビルを持てない教会は、そこいらの商街ビルの一角で営業していたりする。 僕のアパートの道向に、20階建てほどのでっかいビルがある。今年の夏にオープンしたばかりだが、建設中はアパートかオフィスビルだとばかり思っていた。 左に非ずこれが教会だった。正確にはキリスト教系宗教法人の本社ビルだ。聞けば此処韓国でも御多分に漏れず、宗教法人はなかなかオイシイ商売なのだとか。 正確な数は知らないが、一説によれば、国民の3割程度が教会に通っているそうだ。 昼時など会社の食堂でも、膳に箸をつける前に、テーブルの下で手を組んで祈る人が相当数居る。(もっとも胸の前で十字を切る時に、「上下左右」とやる人がたまに居るのはご愛嬌) 然しながら、韓国がキリスト教国であるという事では当然無い。日本も然り、韓国でも宗教と言うに値するものは存在しない。 個人的解釈だが、「政治の基盤」となり、社会的「倫理規範」や「価値判断」の基になるものは宗教足り得るが、それ以外は単に個人的「信仰」と言うべきであろう。 そういう意味では、「ウリナラ最高」思想が宗教ジミていると言えなくも無い。 ~(-_-~) (~-_-)~ 日曜日に、市内まで用を足しに出かけた。何時ものように地下鉄で行った。 車内はそれ程混んでいた訳ではないが、それでも空いている席が無い位には人が乗っていた。僕は運良く座れたのだが、座ってみると何だかとても窮屈だ。 7人がけのシートにちょうど7人座っているから、何処かで誰かが、必要以上にユッタリ座っているに相違なかった。 よく見れば案の定、僕の隣のアジョシが、1.5人分位のスペースを占領していた。 韓国には、日本人が一般に考える「公共道徳」というものは存在しない。公共という概念その物が、もともと無いと言う方が的を得る。もともと無いのだから、公共道徳に悖ると文句を言ってもしょうがない。 くだんのアジョシは、小さな本を赤鉛筆片手に熱心に読んでいる。見れば聖書である。日曜の午前の事とて、大方教会にでも行くか行って来たかしたのであろう。その聖書は赤鉛筆で真っ赤に下線が引いてあり、日頃から熱心に勉強しているようだ。 しかし余程熱心なキリスト者だからといって、人格者であるという筈がない。 聖書の律法も、この国に在っては只の念仏に過ぎないのかもしれない。 (~-_-)~ ~(-_-~) 国民的英雄(だった)黄教授は、教会に行くのだろうか。確か旧約の最初の方に、「君達ウソついたらや~よ」と書いてある。 でも、聖書に左手を置いて宣誓するアメリカの大統領でさえ、数多のウソをついて平然としているのだから、その程度のものなのだろう。 どっちにしても黄教授が「ウリナラ教」に一撃食らわせた事は確かである。 ┌(・。-)┘~♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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