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テーマ:命と労災(56)
カテゴリ:弟の事故(事故から最初の退院まで)
お願い、この日記には、どうしても、血やえぐい表現を使わなければなりません。それらが、苦手の人葉、読まないで下さい。それでも、構わない方や同じ経験をされた方には、ぜひ、一人でも、多くの人に読んで欲しいです。
2002年7月後半 入院6日目 前半 今日は、いつもより、寝坊してしまった。 3日ほど前から、非常にリアルな殺され方をする、悪夢を見ることが、何度もあった、その都度、叫んだり、泣きながら、目を覚ます。皆疲れているから、気が付かなかったようだ。それを伝えるわけにもいかない。そんな日々が、続くので、何度か、浅い睡眠を繰り返すうちに寝過ごしてしまう。あわてて、1回目の洗濯物を干し、2回目の洗濯を始める。その間に、家中のゴミを集め、ゴミを出しに行く。 明日、回収に出す分の新聞や雑誌をまとめ、縛って、玄関においておく。 そして、ワイシャツをクリーニングに出し、前に出した、ワイシャツを取ってくる。やはり、今日も、混んでいた。入るのに15分かかってしまった。 家に帰り、急いで、朝食をとるが、お腹の調子が、悪い。 何度も、トイレに行ってしまう。最近、なんだか、お腹の調子が、最悪だ。正直、厳しいが、病院に行っている暇もない。 自分の薬も無くなりそうだが、病院へ行く暇は、無いし、最近、発作も無いので、痙攣止めのフェノバールとレキシンを送ってもらう事にした。 それで、とりあえずは、1月分は、確保できる。 あまり、食欲は、無いが、無理やり胃の中へ押し込める。 最近、食事に時間が、かかりすぎるのが、嫌だった。 その後、電話が、何度か、かかってきた。最初は、両親で、『ご飯を食べたのか』と聞いてくる。それから、『今日も来るのか』と、尋ねてくる。無論、行くと答える。少し、遅くなるかも知れないけどと付け加えて。 その後は、親戚から、弟の病状を聞いてくる電話が、あったので、あまり、変わっていない事と、いまだに、熱が高い事を伝えた。 その後、2回目の洗濯物を干す時の日差しが、厳しかった。肌が、じりじりと焼かれていく感じがした。ムッとした、気温が、吐き気やめまいを引き起こす。 何とか耐えて、今度は、ベランダの花の水遣り。あまり、細かくは、出来ないから、多めにあげていく。大きいバケツ10杯ちょっと、で終わった。 金魚や熱帯魚に水をあげ、シャワーを浴びる。その最中に、 お腹が、痛くなり、トイレへ、最近、この繰り返しが、多いが、 家族が、いない時なので、誰も知らない。もちろん、言ったりもしない。 シャワーを出て、すぐに、着替える。荷物を準備する。 今日は、両親の着替えなども、持って、行かなればならないので、 昨日、メモに残した、場所を探していく。程なく、必要なものは、 そろったので、仏壇に線香を上げ、手を合わせる。二人の祖母と兄に、『今日も、自分の命と引き換えに弟と家族を守って欲しい。弟の元気な姿を一目見たら、自分もそちらへ向かいます』と、祈った。 部屋の掃除をして、いなかったので、全ての部屋に掃除機をかける。 その後、アルコールのモップで、フローリングを磨いていく。 玄関を掃いてから、最後にトイレの掃除をする。ひとまずは、これで終了。手を洗ってから、スーパーへ買い物に行く、日差しが、厳しかった。 頻繁には、買い物にこれないから、何日か分の食料などを買う、 両手一杯に荷物を持ち、家に帰ろうと店を出ると。夕立のような、ものすごい、勢いで、雨が、降っていた。さっきは、あれほどに暑かったのが、嘘のようだ。もちろん、傘など、持ってきてはいない。雨の止む気配は、無いし、時間も無い。しょうがないから、歩いて、雨の中を帰ることにした。 荷物が、あるから、走れないので、濡れるにまかした。めがねも曇り、ほとんど、見えないが、問題は、無かった。 やっとの思いで、家に帰り、着ている物を下着まで、全て着替える。 ズボンは、洗濯したばかりだったが、しょうがない。 洗濯物も、そのままにするしかない。今からでは、もう、遅いから。 手早く着替え、すぐに出かける。バックパックを背負っているので、 傘を持ちづらい、傘から、はみ出た、バックパック越しに背中へ、雨が、流れてくるが、しょうがない。 駅に着き、電車を待つ間に、飲み物を買い、体を乾かす。 といっても、頭や首を少し、拭ける程度だった。 毎日の通院のおかげで、腰痛を、悪化させてるようだ。 駅のベンチに座ると、なかなか、立てないので、荷物を下に降ろすだけにした。 また、今日も、片道100キロの移動が、始まった。横須賀線に乗り、1時間ちょっと、船橋で、京成線に乗り換える。京成線を快速と、各駅とで、乗り換えながら、弟の病院へ、途中、PHSのメールや着信を確認しているのは、かなり、不審がられたが、不安の中から、出る行動だけにどうにもならない。長時間の移動は、死を身近に感じるような、感覚に襲われ、パニックになってしまう。誰にも何も言えずに、途中下車を繰り返す。 一度たりとも、まともに電車をおりずに、病院へ行けたことが、無い。 何とか、弟の病院のある、駅に着く、駅を出て、ジャスコで、買い物をする。通院の日々で、買ったばかりの靴が、だいぶ、壊れてきていた。 靴屋へ寄ると、定価の半額以下の2000円で靴が、売っていた。 自分のでかい足にもぴったり合うので、買うことに。その場で、紐を結び、履いていく。古い靴は、捨てるしかなかった。 食料などを買い、店を出ると、またも、陽炎が、立っていた。 息が、苦しい。荷物も、重いし、大変、暑い。その事が、腰痛を悪化させていった。自分で、リハビリをして、何とか動けるようにしたのに、医者にも治せないことを、自分で、ここまで治したのにと、悔やまれるが、仕方ない、運命だと思って、受け入れた。 15分ちょっとの道のりが、30分以上にも感じられた。 そして、病院が、見えてくる。元気そうに通院してくる人が、 うらやましかった。楽しそうに面会に行く人を見るのが、なんだか、 苦しかった。自分が、嫌な人間になっているのでは、と思ってしまう。 (明日へ、続く) 今日は、ここまでにしたいと思います。読み辛くて、すいません。 この日記を読んでくれた方や同じ体験をされた方には、どんな事でも構いませんので、ぜひとも、コメントを書いて欲しいです。そのコメントにどれほど、救われているか分かりません。この日記を書くのには、大変な労力を必要とします。心の奥底に閉ざした、記憶と記録の照合は、精神力や体力、気力を容赦なく、奪っていきます。書き終わったら、ヘロヘロになってしまいます。そんな時に、皆さんのコメントや支えが、あって、はじめて、書き続けることが、出来ています。どうか、よろしく、お願いします。 最後に、同じ体験をされた方や、何かを伝えたい方は、この、命と労災のテーマで、日記に記して欲しいと思います。今後とも、よろしく、お付き合い下さい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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