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親仁の意見-50男の素朴な想い

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July 22, 2006
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は名古屋市内に車で出掛け、大須のブラジル料理店で鶏の丸焼きを一羽買い込み、夕食はこれでビールを美味しく戴きました。流石に一羽全部は食べられませんでしたが、食欲は高校生時代とあまり変わっていないようです。

さて、「日比谷」について指導方針を書くべく、他校と比較している間に、八王子東高校の「熱気球」にぶち当たりました。詳しくはこちらを御覧戴きますが、高校生が「熱気球」の制作を思い立ち、何年も掛けて遂に実現したのです。この粘りと、真に科学的なアプローチの仕方は、感動的でさえありました。そんな訳で、今回は「番外編」として取り上げます。

簡単に中味を紹介しますと、「有志熱気球は1996年に、19期生の3人の女子生徒が文化祭で人の乗れる熱気球を作ろうと思い立ったことから始まりました」ということですが、熱気球の制作や実際の飛行は想像を遥かに超えた難しさがあり、初年度はそのハードルの高さに撥ね返されました。しかし、彼女等が卒業した後も、新しいメンバーに「熱気球を飛ばそう!」という意志は受け継がれ、2000年4月に悲願の初飛行に成功したのでした。

最初に教えを請うた専門家の方からは、危険を伴う事ゆえに、親身な協力は得られませんでした。また、発起人の三名も卒業してしまい、普通ならその段階で企画は頓挫してしまうのですが、新入生の勧誘が毎年功を奏し、「有志熱気球クラブ」の陣容は増えて行ったのです。また、指導教員の方も熱心にサポートされ、卒業生達もボランティアで支援を続けて行く中で、志の高い「人の輪」が熱気球を成功に導いたのでした。

新たな発見として、然程大きくもない熱気球ですが、想像を遥かに超えた布が必要だったのです。然も、バーナーで焙るため不燃性が必要であり、勿論強度も必要でした。この他、布だけでなく専用バーナーや搭乗用の籐篭も日本製ではなく、入手には英国から取り寄せるのに数ヶ月を要したのです。そして、気球の完成には膨大なミシン縫製の作業が必要でした。また、型紙の作成には微分・積分を駆使して、裁断する形状を決めて行ったのです。

面白かったのは、地面が暖まる日中は熱気球を飛ばすことが出来ず、飛行は早朝しか出来ないということでした。また、横田基地に発着する米軍機の進路に近いため、校庭からの飛行は周囲のビルより高くは出来なかったそうです。斯くして、八王子東高の「熱気球」は無事に飛行したのでした。





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Last updated  July 23, 2006 01:04:33 AM
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