『淀川長治物語』 -「淀川屋」で仕切るあおいちゃん、そして淀長さんのこと-
( 映 画 ) “ サイナラ サイナラ サイナラ ” この言葉を聞けば、ある年齢以上の方は、TVでほほ笑む、メガネのやさしい紳士を懐かしく思い出されるのではないでしょうか。そう、映画評論家で映画解説者でもあり、映画をこよなく愛された淀川長治さんの物語で、同じく映画をこよなく愛しておられる大林宣彦さんにより映画化されたもの、それがこの作品です。 1998年にお亡くなりですので、もう既に12年になるんですねェ。この映画は淀川さんの一周忌にTV放送されたものを、再構成し劇場公開されたものだそうです。 淀川長治さんは、「日曜洋画劇場」の映画解説で特にお馴染みで、‘淀長さん’の愛称で親しまれていらっしゃいました。私個人は特に「淀川長治名画劇場」とかの名称でしたか、ほぼ一時間位のラジオ番組で映画のお話を随分楽しく拝聴させて頂いたものです。いろんな名画を淀川さん独特のテンポのよい名解説で聞き、特に長い映画人生の中での体験を踏まえたその解説は、本当に楽しく説得力もあり、淀川さんがどんなに映画を愛しておられたか本当によく分かりました。涙しながらお話を聞いた事も少なくありません。無声映画のこと、トーキーになってからのこと、愛して止まないチャップリンのこと、チャップリンとバスター・キートンとの違い、監督のジョン・フォード、ベルイマン、ルルーシュ、フェルリーニ、パゾリーニ、ビスコンテ、ビットリオ・デシーカ、日本を代表する黒澤明、小津安二郎、溝口健二やその他俳優、女優諸々。今でも目に見えるように浮かんで来ます。考えてみれば、私の映画体験も淀川さんから入っていったといっても過言ではありません。まさに“映画の伝道師”と呼ぶに相応しい方だったと思います。 さて、そういう淀川さんの若き神戸時代を、同じく映画をこよなく愛する大林監督が撮る。これはやはり必然のようにも思いました。そして、その淀川さんの子供時代の一番上のお姉さん役を宮崎あおいちゃんが演じる。これはなかなか愉快でした。淀川さんからは、一度もお姉さんのお話は聞いたことはなかったかと思いますが、なかなか芯の強いお姉さんがいらしたんですねェ。この映画の中では、あおいちゃんが兄弟姉妹の一番上として見事に弟妹を仕切り、柄本明さんの父親の代理として、芸者宿“淀川屋”の女番頭風に敷居で客に応対したりします。あるいはまた、兄弟姉妹4名で写真を撮るシーンでの姉貴としての貫禄はなかなかのもので、この時あおいちゃんは13歳位だと思いますが、既に見事な存在感を見せていました。映画デビュー作『あの、夏の日』の後で、『スイングマン』や世界に注目されることとなった、『ユリイカ』の前です。 かくして私の映画の洗礼は、淀川さんの影響もあってか、洋画から入っています。ニューシネマ直後の頃で、そこから過去の名画も見返しました。その頃、洋画は本当に素晴らしかった。一方、一部を除き邦画は魅力を欠いてたようでした。邦画の低調は残念ながら、それからかなり長く続いたような気がします。 ところが、いろんな見方もあるとは思いますが、ここ10年、邦画はとてもよくなったように私は感じています。その転換期が、折りしも淀川長治さんがお亡くなりになった直後なのは、何という皮肉でしょうか。 思い出すのは、淀川さんのお話をよく聴いていた頃、淀川さんの言葉の中に日本映画へのエールがいかに繰り返されてたか、いえ、直接言葉ではおっしゃってはいません。でも何となく分かったんですネ・・・。 淀川さんに、『ユリイカ』を観て頂きたかった。骨太の壮大な映画『ユリイカ』を。そう思いました。21世紀の初頭を飾った、邦画再生の萌芽を示すこの作品を、人生の最後にぜひ観て頂きたかった。そして、宮崎あおいという女優についてもチョッピリ聞いてみたかった。本当に本当にそう思いました。(goo,Yahooに同文寄稿)