カテゴリ: 映 画
『コロンビアーナ』はリュック・ベッソン制作・脚本のアクションもので、しかもヒロインは若く美しい暗殺者。 こう聞けば誰しも『ニキータ』に迫る内容か、などとかってに期待してしまいますが……。 この映画に限らず、制作にそれなりのお金を掛けることができる場合、脚本家を何人も雇ったり、音と明かりやメイクに衣装、アクションにスタントとそんなスタッフも一流の人を揃えて、ほころびのない映画を作ることが可能かもしれません。 だからといってそんな、ほころびのないものが必ずヒットするという保証はありません。 その作品は誰のモノなのか。 『ニキータ』と『アサシン』がまるで別物になったように、同じ物語であってもいい作品が完成するかどうかは別。重要なのは監督の仕事ぶりで、各シーンに何がしかの緊張感や雰囲気、間などを演出していかねばならなく、例えシンプルな物語であっても監督のセンスが効いていれば画面には力がうまれるのです。 では『コロンビアーナ』をリュック・ベッソンが監督していればもっといいものになったのかといえば、それはわかりません。けど『96時間』は監督でお願いしたかった。 いまのリュック・ベッソンは制作や脚本に携わることは多くても、監督をあまりしていません。そのほうが儲かるのか、それともやりたいことを手広くやっていく為なのか、それとも若手にチャンスを与えたいからなのか。前に『アデル』のようなファンタジー・ホラー・アクションを撮っていましたけど、本当のところどんなものを撮りたいと考えているのでしょうか。ヤクザなアクションはもう撮りたくないんだと思っているなら残念です。 使い古した結果で“ほころんできた”というものではなく、若気の至りの様な“ほころび”。後で確認したら“ほころんで”いたというようなそれ。“ほころばせる”つもりはなかったのに“ほころんでいた”。そんな“ほころび”が必要かもしれない。どう未完成であるのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.09.04 01:51:23
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