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6月4日正午過ぎ
父か入院している病院から連絡を受けて病院へ。 日曜日だったので長男と三男は外出していて、病院に向かいながら二人に連絡を。 奥さんと次男は仕事だったので家を出る前に仕事先に連絡しました。 病室で担当医から熱はないが、悪くなる段階かひとつ進んだので覚悟しておいてくださいと言われました。 奥さんが7日の面会予約を取って当日、長男がレンタカーを借りて母を父に合わす事にしました。 母は通院やショートステイに行く際は車椅子を使っているので、面会時も奥さんが車椅子を押して行きました。 父が施設に入所し、誤嚥性肺炎を患って病院の転院などや母自身の入院もあって母と父が会したのは約8年ぶりでした。 6月14日午後8時過ぎ 病院から連絡があって自分・奥さん・長男・三男が駆けつけました。 昼まで症状が変わらなかったのですか、昼過ぎから熱が出て具合が悪くなりましたと看護師から説明を受けました。 4日の時と同様、話はできないが聞こえていて理解出来ているので話かけてくださいと言われました。 亡くなる10分ほど前から顔の血色が引いてきているのが分かりましたが、最後まで話かけていました。 午後9時54分逝去 享年93歳 結婚している次男は病院に向かっている途中だったので、死に目に会えませんでした。 病院から実家に行き両親が積立をしていた互助会(セレモニーホール)に連絡し、父が亡くなった事を話して寝台車の手配を依頼。 母は9日からショートステイに行っていて15日の夕方に実家に戻る事になっていたためショートステイ先には15日の朝、ケアマネージャーさんに連絡して母には伏せてもらう旨を連絡。 ケアマネージャーさんは父の担当でもありました。 併せてお寺さんに連絡しました。 15日午前10時少し前 病院に着いて父が亡くなった旨を受付に話しているところに葬儀会社の方が到着し霊安室へ。 奥さんと子供達・次男の嫁も霊安室に。 寝台車に父を乗せてセレモニーホールへ。 一級葬祭ディレクターと葬儀の打ち合わせに入ったのですが、17日と21日が友引という事とお寺さんの都合もあって20日に家族葬を執り行う事に。 細かい決めこともあって、セレモニーホールでの打ち合わせは3時間を要しました。 母が高齢という点を考慮し、自分が喪主を。 午後6時過ぎに実家に長男と行き、母に亡くなった事を話したら一瞬動きが止まったので母もそのまま逝ってしまうのでは?と思ってしまいました。 ショートステイに行っている時も覚悟していたと母は言いました。 20日の家族葬には奥さんの両親も参列しました。 葬儀の翌日から区役所・年金事務所・保険関係の手続きもありましたが、大半は先月中に終わりました。 保険関係で父の入院・転院の月日を訊かれた際にブログに入院や転院の日を書いておいたのでスムーズに運び助かりました。 お休み中は温かい言葉を多くいただきありがとうごさいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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