日本海中部地震 26日の日記
クロニクル 日本海中部地震 1983(昭和58)年5月26日33年前のこの日、正午過ぎに、秋田沖を震源とするマグニチュード7,7の地震が発生しました。この地震の被害は、遅れて襲ってきた津波の被害によって、大きくなりました。秋田県男鹿半島の加茂海岸に遠足に来て、海岸でお弁当を広げていた小学生12人や、能代港で護岸工事をしていた作業員34人などが、2メートルを超える高波にさらわれ、命を落としました。いずれも津波警報の伝達が遅れたための悲劇でした。死者・行方不明者は秋田・青森・北海道で104名。重軽傷者163名。住宅の全半壊3049戸、流出52戸などの被害があり、道路・鉄道の寸断も各所で起きました。この地震では津波情報の伝達に問題が残り、地震で無線の受話器が外れて情報の伝達が届かなかった所があったこと。気象庁の津波警報の都道府県への伝達から、15分後に津波が襲来したのですが、末端の機関への伝達に20分も要したことから、警報の届いた時には、既に手遅れとなっていたなど、大きな問題があったのです。「日本海側は、津波の被害はない」とする。勝手な思い込みも、遅すぎた伝達の原因を構成する、一つの要素として指摘されました。昨今は、懲りたのか、随分と伝達速度は上がっているようなのですが、失われた命は、返ってきません。