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カテゴリ:中国人という人たち
午後、日中のメディア交流について考える
「日中コミュニケーションシンポジウム」に参加した後、 現地日系企業に勤める日本人・Fさん、中国人アナウンサー・Wさん、 デモ以降すっかり日本のメディアから引っ張りだこになってしまった 北京大学の留学生・K君と、Fさんおすすめのチベット料理屋に行く。 チベット料理屋の前に、ドイツ料理屋でビールを軽く引っ掛けていて、 店に入ったころには、既に話題はお互いの深いところにまで達していた。 おまけに舞台はチベット@北京。そうなるべくしてそういう心理状態だったのだろう。 Wさんは、現代の中国に生きる中で深く苦悩する部分があったし、 私も自分の理解を超えたところで過敏に反応する自分を感じていたし、 二人とも適当に吐露することで少し楽になりたい時期だったのかもしれない。 ヤクの肉の乗った皿を挟んで、なんだか途中から涙と鼻水の会になってしまった。 その様子に、やさしいウエイターが紙ナプキンを渡しにくる。 「こういうときは、目を閉じてチベットの山を想像すればいいんだよ」。 ステージの男性が歌う澄んだ民謡が響く中、Fさんに言われて、3人は目を閉じる。 もしここが日本のレストランだと不好意思な感じがして戸惑うのだろうが、 北京のせいなのか、チベットの魔力なのか、素直にそうしようという気になる。 それにしても、Wさんもその一人だが、中国人の人生は激動である。 今まで存在し得なかったものが突如として出現するような 常にその急展開と向き合って生きているのである。 その変化の傾斜角度は、たとえば日本で電話が、 黒電話→ボタン式電話→留守番電話→ファックス→自動車用移動式電話 →携帯電話という段階を踏まえ変遷しているのに対し、 こっちは“まったくなし”→“携帯電話”くらいの急勾配なのである。 その一方、見る間に、存在したはずの家やビルや街や風景、 人の思い出が消えていく。 自分の過去に対して喪失感を感じている人も少なくないはずだ。 そう考えると、よく頭がおかしくならないでいられるな、という気がする。 この点に関して、私は中国人を尊敬せざるを得ない。 店の従業員たちが、民謡にあわせて、踊り始めた。 テーブルの間を通り抜ける容姿端麗なチベットの若者たちを見ながら、 きっとここにも激動の人生があるのだろうなと思う。 ともかく。日本だろうが中国だろうが、生きていくことは難しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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