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倫理の進化

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若樹

若樹

Headline News

2012.07.20
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カテゴリ:思想
1998年の9月。
笑っちゃうんだけど、私が最終的に北海道も候補地に乗せたのは、この時を同じくして、閉校した、「マッキー国際学園」が関係していたから。
自然、野生生物の専門学校だったこの学校。
ある事が縁で、ここの生徒さんと、電車の中で知り合って。

話を聞いてみたら、どうしてもこうしても入学して勉強してみたくって、「子供(犬猫)いるし、毎日フルタイムで働かなきゃいけないのに絶対無理」って言う現実を分かっていながら、自分の人生をずっと捨てて、人間の贖罪ー尊い命をゴミの様に捨て、「処分」すると言うー

を、肩代わりして償う日々だけだった私には、ここで勉強してみたいと言う夢が出来てしまった。

東北を探したのは、この学園が全国に15校程あって、うち一つが、確か宮城県の仙台にあったから。

で、その周辺の土地を探したけれど、見つからず、暑さに弱く、寒い方が得意な犬の事情を考慮すると、もっと西や南方へ下ると言う事は適切だと思えず、最後に残った最北端の、マッキー国際学園が、札幌にあったんです。

それで、1998年9月。
当時引越し資金を稼ぐ為に働いていた六本木のクラブに、二週間くらいの休みをもらって、子供を母や弟に頼んで、初めて北海道へ来たって訳です。

札幌には住みたくなかったからー市街地がどうにも好きになれないし、犬や猫がいたら、とかく問題が起きやすいし、なので札幌周辺の町や村を、しらみつぶしに探して、とうとう、洞爺村に条件にほぼ合う土地を見つけ。

ガーーーンと。
結局、一番行きたくなかった北海道への移住になってしまったかと。

それでも、二年以上引越し先を探して探して、見つからず、それがこの二週間で、いとも容易く見つかってしまったからには、私は北海道へ来る運命なんだなあと、観念して、東京に戻って来た。

その足で、川崎に住んでた母の所へ移住先が決まった報告をする為に、車は千葉へ置き、電車を乗り継ぎ、駅から疲れてたんでタクシーに乗って、ラジオを車内で聴いていたら、ニュースが流れ、「マッキー国際学園が経営困難を理由に閉校」されたと知った。

嘘一切なし。
タクシーの中で、脳みそも世界も真っ白になったもの。
だって私、絶対専門学校なんて、子供達世話しながら、フルタイム働きながらで、通える訳ないと思いつつ、手が勝手にマッキー国際学園の、学校資料請求をしちゃっていたし、それが送られて来て、その授業内容の面白さ、また、研修旅行先の一つに、オルカ研究者の第一人者、ポール・スポング博士の暮らす、カナダのハンセン島なんてのがあって(イルカ、オルカ、クジラ大好きだから)、頭が完全に麻痺してしまって。


入学金とか見てみたら、論文一つ書いて、優秀なものであれば、入学金が、確か20万ほど免除されるって書いてあって、まあ、自分の立場も考えず無責任な事に、論文一筆書いて、気がついたらそれを郵送してしまってて、後日、青空と雲をイラストした「合格証書」をもらってしまった私は、二年間、意地でも働きながら、子供世話しながらこの学園に通う、って、覚悟を決めてしまっていたんだもの。


それが、北海道まで行って、札幌校に通う為、割合札幌近郊と言える、洞爺村に土地をほぼ決めて、帰宅して正式な手続きに入るぞと、東京に戻ったその日にタクシーの中で、学校閉鎖のニュースを聞いたんだから。

そりゃあ、気も遠くなります。
あの瞬間の事は、忘れようもないな。
寒いくらいだった北海道から、暑い東京に戻って来て、川崎の実家へ向かう、日中のニュース。

ただ、挫折や試練慣れしてたので、気を取り返すのはすぐに出来た。
もう、マッキー国際学園がなくなっても、私達には移住先が必要だったし、それが二年、本州を探して見つからず、北海道へ行ってすぐ見つかったなら、私達の未来は北海道にあるって言う事なんだろう。

それまでの私の苦労の中で、唯一足らないものは、「環境が厳しい所での生活」だった。
虐待に耐えた。
究極の貧乏にも耐えた。
人間の底意地の悪さも滅茶苦茶に味わった。

ただ、温暖な環境下でしかまだ暮らした事がなく、私には、生きる事自体が過酷な、そういう所での生活の経験がなくって、それは、人生に不可欠な大事な経験だと思うし、自らそういうものを求めなくては、開ける道も開けない。
そんな覚悟が出来ていた。

結局、マッキー国際学園がなくなった為、私は洞爺村の土地は考え直す事にした。
北海道を移住先にする覚悟はついた。
学校がないなら何も、札幌近郊に的を絞る事はなかった。

なので私は、改めて、確かその二ヶ月後位にー
再び北海道へ軽自動車でやって来て、道内をあちこち見て回った。

弟子屈を選んだのは、私ではなくて、死んだ吹雪と言う犬。
私の父親代わりだった。

写真の中の吹雪が、ここを示した。
で、私はもう、北海道を色々見て回って、何がなんだか決められない程土地を見て、吹雪の言うここが、調べてみると、冬場、北海道でも雪の少ない地域(その為、北海道内でも指折りの寒い地域だと言う情報は当時なかった)であるのを確認し、ここに決めたんだ。

摩周湖には、一目惚れしたし・・・。


そう、ここに来るまでの経緯は、ほんとーーに、ざっと話すとこんな経緯。

で、1999年の7月に北海道まで単身来た時、私はまだ26歳。
こっち来て、二ヶ月しないで27歳になったけど。

まあ、本当に苦労しました。
寒い、凍れる(シバレル)、道民の風習や世界観や、考え方の違いに慣れられない、気の合う人間がほぼ全くいない、(ここは、パチンコしない人間は、友達見つけるのが難しい)兎に角信じられない寒さと孤独。

移住して、4ヶ月目には鬱病になっていた。
それは、自殺する1年前まで、6年は続いた。
治って初めて、自分が鬱病だったと知ったんだけど。
まず、鬱病ってよく知らなかったから。
一度、心療内科に行ってみたら、札幌の病院紹介された。
行けますか。
350キロは離れてるんだから。
怒るよ。

自殺するまでの約1年が、何だかんだと、一番楽しく、少しずつここに慣れ始めて来れた頃だった。

そう、完全に回復した訳ではなかったけど、回復始めていた。
だから、時に落ちたり浮上したり、でも、確実に良くなって来始めてた。

そして、本気でそろそろ改善出来ると、気持ちがしっかりし始めて、仕事の休みにはアルバイトもやって、子供達の避妊、去勢費用を捻出しようと、頑張り出した二ヵ月後に、出て行けと言われた。

その、理由は後回しにして、先に白黒はっきりさせておきたい事があります。

私は、犬猫の保護活動を、いつから始めたのかって言うと、正確にいつを基準に考えたらいいのかは分からない。

ただ、「保健所へ連れて行かれるから。」
「子犬生まれてお父さんが、貰い手いなかったら今日中に子犬を殺すって言われて。」

そう聞いて何かしなければ、助けないとと思った時、あれを私の活動の萌芽と言うべきなんじゃないだろうか。

川崎にいた時、あの頃はまだ、本物の活動ではなかった気がする。
私には、まだ余裕があったし、大家族にはなっていたものの、自分自身の命の危機を、感じるまでにはなっていなかった。

それでも確かに、18歳になるまでに、多くの命を背負って歩いてはいた。

千葉。
ここで私は、本当に、捨て犬や猫を救う事を、これまでの様に何も考えず、当然の様にして行く訳にはならなくなっている事を感づいた。

私達が暮らす山荘は、人目につきにくく、格好の、犬、猫、捨て場になってしまったのだ。

千葉に移るや、家の前は、年中、子犬や子猫から、捨てられる様になった。
二十歳になる前には、このままその子達を助けていたら、最終的に自分がどうなるか、自分が面倒見ている犬達が、どうなるか、真剣に考えなくてはならなくなった。

捨てて行く人間は、間違っても考えはしない。
捨てられた人間が、自分が捨てた犬や猫を食べさせる為に、どれだけ働かなくてはならないかなんて。

その為に、色んな事を、人生の中で諦めていかざるを得ないかを。
ただ、自分が楽になる事しか考えていない。

自分の責任の犬や猫を、保健所ではなく、拾ってくれそうな人間の家の前に捨てた事で、自分を許してさえいるだろう。

その人と、犬、もしくは猫の物語はそれで終わり。

でも、物語は続けられる。
捨てた連中には読まれる望みもない物語。

その後の、押し付けていかれた人間の苦悩。
生活費と言う、究極の現実問題。
女の細腕で、一体一月、幾ら稼げる?
しかも、捨てられて、また増えた犬や猫の面倒を見ながら。
そして、大勢いる犬や猫の中で、いじめられたり、勝ち抜いたりしながら、生きて行かなくてはならない、犬や猫の苦労。

捨てる連中は一切考えない。
彼らは、そういう行為を見聞きしても、問い質さない社会の中で、のうのうと、他人の人生を滅茶苦茶にしている事も自覚せず、笑って生きてる。

私が、北海道まで来て、零下30度の中で凍死しかける様な経験をする羽目になったのは、全てこういう人間達の行為の結果。

知らないでしょう。
あんたは、ただ、犬を、猫を、一頭、或いは数頭、「好きで沢山飼ってる」人間の家の前に置いて行って、「可愛がってもらえよ。」と言って、捨てる「役目」を果たしたとしか思っていないでしょう。

お前たちは、人の人生を変えたんだよ。
人の人生から全て奪い取った。

目の前に命を捨てられて、もう助ける力もないのに、目の前の子を、文字通り殺す施設に、電話する事を「出来ない」、どうしても、出来なくて、代わりに自分の人生を、犠牲にして泣きながら助けるしか選択の余地がない、弱い人間の人生を滅ぼして来た。

私みたいに、どうしても、どれだけ追い詰められた状態でも、目の前に命を捨てられて、自分の意思で、手を取って、保健所へ「家の前に犬(猫)が捨てられているので、引き取って下さい。」と、電話を掛けられない人間は、あんたらの為に、働いて得たお金を、自分の楽しみや趣味の為に使う代わりに、あんたらの捨てた犬や猫の食費に充てて、病院代に充てて、挙句に、あんたらがどんどん捨てて来るものだから、今度は近所から、あんたらの為に苦情を受けて、いびられ、家に石をぶつけられたり、怒鳴られたり、カラスの死体を放り込まれたり、それはそれは凄まじい嫌がらせを受けて、

結局、あんたらが捨てて行った犬や猫の為に、それまで住んでいた家を捨てねばならず、身近な友人達と別れて、見知らぬ土地へ、お金を必死で稼いで一人、移らねばならず、普通の人間らしい、平凡な生き方の何もかもを諦めねばならず、そうやって、お前らが捨てた犬や猫の命を守って行かなきゃならないんだ。


少しは分かるだろうが。
あんたら捨てて行く人間は、選択してるんだ。
捨てる相手を。

如何にも、この人間だったら、家の前に捨てておけば、保健所へやれなくて、面倒見るだろう、そういうある意味で心の弱い人間を、的確に選んで捨てて行ってるんだから。

その通りだよ。
普通に家を持って、そこで何頭かの犬さえ飼ってたら、大抵の人間は、「犬や猫を捨てたいと思ってる」人間に、目を付けられる。

捨てる卑怯者達は、本当に卑怯だから、自分で保健所へ連れて行く度胸もない。
だから、救うも、それが出来ないなら、自分の代わりに保健所へ引き渡す役割も、押し付けてしまえばやってもらえる、赤の他人を選んで捨てて行くのさ。

「家はこれ以上飼えないから」と言って、そういう真似をされても、心を鬼にして、可哀相だと思っても、保健所へ通報出来る人間ならまだいいよ。
自分の生活をきちんと守るから。
ただ気の毒に、その人間は、あんたの代わりに、罪もない犬や猫を、保健所で殺処分させたって不条理な自責の念を、ずっと忘れられずに、保健所へ自分がやった、他人の犬や猫に対して、申し訳ないと、思いながら、生きて行かなくちゃいけないんだけどね。










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Last updated  2012.08.29 12:58:09



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