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倫理の進化

倫理の進化

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若樹

若樹

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2012.07.20
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カテゴリ:思想
「家はこれ以上は無理」
そう、目の前の犬や猫にも、保健所にも、言いたくても言えない、弱い者を見たら、どうしても拒否する事が出来ない、ある意味この世で最も弱い人間は(だって、子犬や子猫よりも弱いから、拒否出来ないんだからね。強いから救ってるんじゃない。弱いから、拒否出来ないんだから、履き違えないで)、どうしてもその子を殺せず、泣く泣く引き取るのよ。
泣く泣く助けるのよ。
泣く泣く世話するのよ。
そして、泣く泣く社会から追い出されるのよ。
分かる?

私は、そっちのタイプの人間だった。
だから、二十歳の頃には、そういう、犬や猫を「無責任」(この世の中で、これ以上に許せない事があるだろうか)に捨てて行く人間達に、完全に目を付けられてしまったと知った時、自分の人生がこの先、どうなって行くのか、真剣に想像しない訳には行かなかった。

間違いなく、あるのは破滅。
崩壊。
自分の体力、気力、そして持ってる土地の広さ、家の中の部屋の数、それから、月に稼げる収入。

いつか遠くない日に、それが必ずパンクする事は、容易に想像出来た。


ある日、そんな事を漠然と感じ始め、恐怖を覚えだした頃に、また捨て犬がいた。
その時、私は自問した。

「どうする?」

心臓は早鐘の様になって、額から脂汗。
顔は、蒼白になっていただろう。

保健所か、自爆か。

この子を前に、どちらかを覚悟しなきゃならない。
もう、限界に近づきつつある。

これまで、頭から追い出して来た不安。
それが、とうとう向き合って、決着つけないとならない時が来た。

「どうする?」

翻って、既に保護して来た子達を見た。
私の決断は、そのままこの子達の運命も決定してしまう。

もしも私が、自爆してもこの子を助ける道を選んだら、今まで助けた子も、諸共最後は、保健所行きだ。

私が力尽きたら、誰もこの子達を面倒見てくれないのだから。

自分の決断が、全員の運命を決めてしまう。
そして目の前には、その決断が、下されて門が開かれるか、それとも門を閉ざされ、自分だけが死ぬ事になるか、私の判断に委ねられた小さな命。

どうしようもなかった。

私は、先に保護していて子供達に聞いた。

ねえ、お前たちの誰も、この子になって、保健所へ送られたくないよね?
誰でも嫌だよね?
この子も、絶対に嫌だと思うよ。

だから、こんな世の中なんだから、諦めて、正しい方向に流されようよ。
それは、私達が、後数年で、みんな死ぬって事になるけど。

他の人達みたく、自分が一番、じゃなくて、誰かの為に、死ねる人間でありたい。
お前たちも、同じ覚悟をして欲しい。

この子を助けよう。
破滅への序曲が始まる事になるけど、自分を守るよりも失ってならない心や精神が、この世にはあるんだよ。

この子を救う事は、お前たち全員を、死なせる事になってしまう。
「オール・オア・ナッシング」

全部か、ゼロか。

全部助けられないから、そんな力ないから、私は初めから、お前たちを救える程の力量も、次々犬や猫が捨てられて来る毎日で、その子たちをお前たちから遠ざけてーつまりは、非道かも知れないけど、保健所でもやって、お前たちだけを、しっかり守って行く様な、割り切りんの出来る、気の強い人間じゃないんだよ。

そういう人間の所に、お前たちは捨てられて来た。
また、そういう人間だったから、お前たちは、保健所へ送られなくて済んだ。

どっちにしても、そこで死ぬ事になるのなら、みんなで、生きれる所まで生きようよ。
それで、どうにもならなくなった時、初めて、お前たちを捨てた人間が選択してしまった、「俺(私)は自分が救われたいから、代わりに俺(私)の責任を引き受けて、保健所でガスを吸って死んでくれ。」って言う、処刑の強制を、言われた通り、引き受けるしかない。

飼い主のいない犬や猫は、生きてはいけない、保健所へ連れて殺さなきゃならないって法律がある限り、それはどうにもならない事なんだよ。


それが確実に誤りであっても、法律を味方につけた人間は、それを実行する権限を、司法と社会によって認められてしまっているんだから。

私が生きてる限りは、精一杯、その法律と戦うよ。
悪法を、正義の道理で堂々と撤廃出来る様に戦うよ。

でも多分、それが出来る前に破滅の時が来るだろう。

だから、その時は、私も一緒に逝く。
何故なら、お前たちを助けられなかった責任を引き受ける義務が、私にはあるから。

今捨てられたこの子を、見捨てれば、お前たちだけは助けられる。
そう出来ない自分の為に、みんな死ぬなら、私も死ぬ義務がある。

お前たちだけ死なせて、私だけ、非情な決断を、或いは適切な決断を、下せなかった私は、自分の弱さの結末から、せめて逃げてはならないからね。

そして何よりも、私は吐き気がする程嫌だった。

「その時」が来た時に、私が人間で、この子達が犬猫だって言うだけで、運命が全く異なる事を。

私は人間だから、「崩壊」の時が来ても死なないで済むの。
誰も私を処刑しない。

でも、この子たちは、犬で、猫だから、私と逆に、いとも躊躇いなく処刑されてしまう。

同じ命なのに。

同じ感情を持っているのに。

確かに、私達は、相手を物じゃない、家族として、同じ人生の中で生きて来たと言うのに。

私だけが助けられ、この子たちだけが処刑されると言う事は、何としても認められない。
法治国家をいい事に、自分達に都合の良い事なら、どんな犯罪も「法律」として、是認している社会の中で、一矢報いず死んでたまるか。

この子たちが処刑される時は、私も公然と自殺をしてやる。

法律を、好きなだけ乱用し、悪用し、究極の犯罪を許している社会へ、私の命を持ってその罪の断罪をしてやる。

私はちっぽけで何の力もない。
やってやれる事は唯一つ。

この恐ろしい、歯車を止める為に、自分の命を突き棒として、差し込んで社会に考えさせる事だけだ。

誰かが殉死者とならない限り、国民は目を覚まさない。

命が平等だと、社会に対して言いたいならば、それを身を持って見せなくてはならない。

自分一人生き残って、口先だけで、何十年、命の平等を訴えようが、それは単なる机上の空論。

行動を伴わない正義に、耳目を傾ける人間なんていない。

一生かけて訴えても意味はないのだ。
しかし、私が公然と、この子たちが処刑される事によって、それが正義か、悪法か、私の命を持って世間に問うと、言い残して、例えばどこかの大きなビルの上で、拡声器を使って訴え、テレビカメラが集まって来た所で、飛び降りて、社会に問題を提起した上で死ぬのなら、それは少なくとも生きて訴えるよりも、確実に世間の人々を、この犯罪そのものの悪法を、省みさせる切っ掛けは作れるだろう。

それで社会が結局変わらなくても、私は、私の正義に殉じて貫く事が出来る。

弱気になって、自分だけ助かり、おめおめと、子供だけを見殺しにした過去に呪縛の様に取り憑かれ、卑怯者の私になって、生きるよりは百倍素晴らしい。

そんな覚悟の中で、私は自分の道を決めた。

それだけの覚悟なしに、行動を実践する事は出来なかった。
最初から、死ぬ事を決めての保護活動だった。


中途半端だけはすまいと誓った。

そして、2006年の3月にとうとうその、来るべき時が来たと納得した。

その後の私の行動は、この連載の、最初に載せた、楽天ブログに書いてある「幸福な自殺」の内容の通り。

現実はしかし、考えていた通りに行かず、私はビルの上から叫んで飛び降りるよりも、子供の側で死ぬ事を選んでしまった。

保健所へ渡せず、家族に子供たちの薬殺を頼んで、先に死ぬ事に変えてしまった。

思うより、やってみる事は、楽じゃない。
現実には、やっぱり子供を保健所へ渡す時を、生きて見届ける神経など持てるはずもなく、私は親しい人間にだけ、遺書を残して自殺を試みた。

結局は、やるだけやった。
こんな凍てつく北の大地まで、若い身空で、一人犬猫抱えてやって来て、鬱病になり、生きて行くのがやっとになって、頑張ろうと立ち上がった瞬間、足元を救われ、もう立ち上がる力が戻らず、静かに死ぬのが精一杯だった。


そう、誰が何と受け取ろうが、事実は一つ。
私は、自分が決めて、自分の責任で始めた活動は、自分なりに決着をつけた。

睡眠薬を、一箱飲んで、効かず、手首を錆びた果物ナイフで16回切っても、血管が切れず、最後は、車のマフラーに、ホースを二本繋いで、車にガスを入れて、子供たちが保健所へ送られる事が決定してしてしまい、それを最早変えられる力が自分にない事を悟り、法律に従い、彼らは処刑ー但し、保健所ではなく、獣医師の出す、苦しみのない薬の下の薬殺。
そして、保護者であった私は、子供たちと、そして自分自身との約束通りに、自分で命を絶つ。

私の力が尽きたので、それ以上は続けられない。
その日を持って、私の責任で始めた活動は、全て終わった。

それが、2006年の、5月19日の事だ。











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Last updated  2012.08.29 12:59:26



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